第255話 道(2)

文字数 1,445文字

 もとはといえば、矢合(やわせ)観音を通りすがって、
偶さか(たまさか)目に留まったのが美童の仙千代だった。
 最も初めは、
雌雄の別を超えた余りの愛くるしさに、
手元に置き、ただひたすらに愛で、
愛おしみたいという思いがほとんどを占めていたはずが、
心根の善良さ、意外な負けん気、
少しばかり素っ頓狂な可笑しみに惹かれ、
同時、聡明さを備えても居て、
信長は親子ほど年の違う仙千代にすっかり魅入られてしまった。
 とにもかくにも、
読み書きもできない民百姓の子でなかったことは幸いなのだが、
仙千代の養父は織田家の直臣の家柄とはいえ、
桶狭間合戦で大怪我を負ったことから、
以後、芳しい戦績を上げることが叶わず、
一向宗との戦に備えた、
鯏浦(うぐいうら)小木江(こきえ)の築城に携わり、
信長の弟 信興が自刃後は事実上、
織田家の出城となっていた二間(ふたま)城に詰めていて、
対外的にも家中に於いてもほぼ無名の人物だった。
 長島征圧戦では詳細な地勢図を自ら作成し、
受け取った仙千代が信長に献じたことから、
大いにそれが役に立ち、信長は謝意を込め、
禄高を増やしたが、
いかんせん特に昨今脚腰が良くなく、
歩行さえ難しい日があるということで、
信長が命じ、今は一旦、静養の身となっている。

 仙千代をどうしたものか、
どうしてやれば最も立ち行くのか……

 その養父に似て、控え目ながら聡明で、
人柄の善さが一目で知れる仙千代は、
眉目秀麗ぶりに近寄りがたさがなく、
期せずして、人扱いに長けていた。
 昨日、
垂井のこの屋敷の主が竹の花の謂れ(いわれ)を口籠り、
困っているのを見て取れば、
竹丸が黙しているのを確かめた上、助け船を出す。
 その際、恐縮し切っている国司を、
安堵させようという思いからなのか、
なかなかの熱弁に、信長も、つい、笑みがこぼれてしまう。
 あとは、
先だって佐々成政軍に加わった大木兼能(かねよし)なども、
成政を通して聞くところによれば、
仙千代は成政邸に所用で出向けば、
時に声を掛けたりして、
世話を焼くでもないが、親しくしているという。
 本来、兼能が年上であるのに、
兼能やその弟、従兄弟は、
織田家内では先輩格にあたると認じているのか、
仙千代に懐き、頼りにしている節もあるようだった。

 仙千代は宝、儂の宝だと思ったが、
どうやら織田家の宝でもある……

 同じことを言うのでも、
仙千代ならば冷たく響かず、
敵愾心さえ消されてしまいそうな穏やかさがあり、
破顔した時の人懐こい表情や、
慎ましくしていても薄っすら浮かぶ頬の笑窪が明朗さを醸し、
仙千代が努力の上で得た知識も教養も、
朴訥が程好く覆い隠して棘が無かった。
 仙千代の天恵と言っても良いその才能を、
この後、信長が、如何に伸ばし、使っていくのか、
どのように舞台を与えれば仙千代が羽ばたき、
信長の覇権、信忠の治世の礎となるのか、
最近の信長は考えあぐねた。
 例えば羽柴秀吉は卑賎の出で、
草履取りにも等しい小者から出発している。
仙千代は初めからそこが異なっている。
 確かに信長は当初から仙千代を厚遇した。
それにより、
妬み、嫉みを受けることは致し方ないとしても、
仙千代が周りから正当な評価を受けつつ、
地位を上げて行くことが大切で、
それが叶わなければ長い目で見れば、
仙千代の将来に影が落ちる。
 信長とて不死身ではなく、いつかは生を終える。
 信長を失う前に、
閨閥や縁戚による万全な後ろ盾のない仙千代は、
他を圧倒する働きをして、成果を上げ、
地位を盤石としていなければならない。
 仙千代が近習として、
優れた素質を持っていることを知るにつけ、
信長はその先々に期待と共に軽い焦燥を抱いた。











 


 




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