第256話 側近団の朝餉(1)

文字数 1,368文字

 天正三年如月の二十九日。
 岐阜を発ち、三日目。
 信長一行は、
予定より一日遅れて佐和山の丹羽長秀の城に着き、
二泊した後、永原に一晩泊まり、
弥生の三日、京の相国寺に入った。

 信長が入京したとなると、
拝謁を賜ろうという公卿、大名、武将が押し寄せ、
多くはそれぞれが嘆願、要請、差配を求めてくるので、
信長は日々を多忙に過ごした。

 仙千代は、
信長の身の回りの世話は若輩に任せ、
もう今は主に取次や書状の管理を主な務めとしていた。
 
 信長は時の無駄を嫌うので、
特段の事情がない限り朝餉を近習達と共に摂り、
そこで一日を決める。
 
 仙千代、竹丸は堀秀政の下に着く。
秀政の上には大津長昌、菅屋長頼、福富秀勝、
矢部家定らが居り、仙千代、竹丸含め、
その日の都合次第で朝餉に出る顔触れは変わった。

 仙千代は信長の引き立てに感謝し、
恩に報いることが、
自らの将来を確かなものとする術だと信じ、
相応の努力、研鑽を積んできたつもりであったが、
偶さか(たまさか)、側近衆が一堂に会すと、
誰もが才智英明であるのは当然のこと、
武勇に優れ、文事に通じ、人品骨柄(じんぴんこつがら)卑しからず、
当代一流の英俊揃いの集団なのだという思いを強くし、
その末席に身を置いていることに、
時として今更ながら驚きを覚えた。
 言うまでもなく、この中で、
背景や足元が最も弱いのは仙千代で、
先祖が格別な手柄をたてたことはなく、
名家でなければ有力者の家柄でもなく、
主筋との縁戚関係も皆無であって、
果たして自分がここに居ても良いのかと、
ふと思うことがないではなかった。

 弥生の半ば近く、そのような朝の席に、
珍しく側近のほぼ全員、顔を合わせた際、
近々今川氏真(うじざね)が上洛するという話になった。
 今川といえば、無論、桶狭間合戦の敵軍で、
信長は氏真の父 義元と戦い、勝利を収め、
戦国大名として大いなる勇躍を果たした。
 一方、義元を失った今川家は後を継いだ氏真が、
迷走とも見える紆余曲折の歳月を経た後、
現在は、
かつて今川家に人質として身を寄せていた徳川家康の庇護を受け、
家康に臣従することで、
流転の生涯にようやく終止符を打ちつつあった。
 家康は人質時代に受けた情けに恩顧で報い、
一方逆に、悪性を働いた者は赦さず、腹を召させた。
氏真に関しては家康の正室は今川一族であり、
義元が存命中には交わりもあったことから、
家康は無下に扱うことを良しとはしなかった。

 「今や浜松殿の御指図で今川殿は動いておられる。
此度、京へ上がってこられることも、
浜松殿の御意思が働いてのことなのでしょうな」

 一同で年配の福富秀勝が早飯を食べ終え、
言った。

 浜松殿というのは家康のことで、
浜松を本城としていることからの敬称だった。

 「うむ。
今川の力ある重臣は多くが桶狭間で亡くなった。
織田の勝利で今川からの離反が叶った徳川は、
幕府が今川との和解を促そうとも、
今川、既に恐れるに足らずと織田との同盟を選び、
今に至る。
今川の跡継ぎはたいした風流人だと聞くが、
(まつりごと)も戦も能無しよ。
頼ってきたなら浜松殿としては何も敵に回すまでもなし、
手駒として置いておくのも、
苦しからずやというところであろう」

 年若い小姓が信長の飯椀に白湯を注ぐ。
信長は飯の残りを湯漬けにし、
香の物とかきこんだ。
 信長が食べ終えるまでに、
こちらも終わっていなければならない。
 仙千代は食べる速度を上げた。

 

 


 





 








 



 

 
 

 

 
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