第389話 志多羅の戦い(8)有海の陣

文字数 1,037文字

 信長は、
志多羅原に姿を現した武田の陣の近くまで、
織田軍の足軽隊を攻め掛からせて、
敵を挑発した。

 鶴翼の形を取った連合軍の左翼には、
鉄砲隊の総指揮を執る滝川一益、
指揮者として佐々成政、(ばん)直政、
福富秀勝、前田利家、野々村正成。
 信長はそこに、
鉄砲千挺を与えていた。

 一帯は濃霧に覆われていた。
時折、朝日が射し込んで、
やがて霧が消え去ることを教えている。

 信長の急遽の指令を受けて、
陣形の右翼へ出向いていた竹丸が戻り、
徳川軍の馬防柵を織田軍とは異なった形状に、
改め直した旨、報告した。

 信長が作事や陣場の奉行、
そして竹丸を、
徳川軍の最前線へ走らせたのは、
家康はじめ、
戦の先鋒を務める三河の将兵達が、
積極的に柵の外へ出て戦いつつも、
危険となれば柵をもってして、
防御が容易く適うよう、
重点的に柵の向きや角度、
厚さに変更を加える為だった。

 信長の計らいは、
家康父子の無兜を、
知ってのことに違いなかった。
 総大将は信長だとしても、
家康とて国主であって、
前線に出て刃を振るうなど、
尋常なれば有り得ない。
 ただ、家康は、
信長の厚意により、
いっそうの奮起を促されたとも言えた。

 「御配慮、
かたじけなく存じます!」

 馬上の信長は家康の声に頷きつつも、
真っ直ぐ前を向いたまま、
微塵も視線を揺るがせなかった。

 長篠の武田の砦群が陥落し、
次々火を放たれたのか、
東からの白煙は強くなっていた。

 今や、家康の小高い高松山陣地から、
連吾川の対岸に布陣する敵軍の部隊が、
霧の合間に見え始めていた。
 
 熱田の戦神の加護か、
志多羅に展開していた武田本隊に、
長篠で砦を落とされた敗残兵が合流を図り、
酒井・金森の奇襲隊に猛追されて、
有海(あるみ)陣地が総崩れとなっている。

 仙千代は有海の陣の大将は、
高坂(こうさか)昌澄であると記憶していた。
武田家の譜代家老の(かばね)が高坂で、
昌澄の父 昌信の名は、
信長の近侍を務めていれば、
武田情勢に絡み、頻繁に耳にする名だった。

 有海陣では九曜紋の旗印が、
無残に横倒しの姿を晒している。

 あれが高坂家の家紋なのか……

 重臣である父 昌信の体調が思わしくなく、
世子 昌澄が出陣するのではないかと、
戦前既に風評を耳に入れていた仙千代は、
間者からもたらされた報の正しさに驚くのと同時、
おそらく二十歳代であろう昌澄の死を知って、
敵将とはいえ逆縁に遭った昌信を、
万見の我が養父(ちち)に置き換え、
憐みの情を禁じ得なかった。

 南無阿弥陀仏!……

 仙千代が胸中で唱えた瞬間、
信長の号令一喝、
織田徳川連合軍の一斉射撃が始まった。


 
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