第127話 小木江城 御寝所(1)

文字数 1,073文字

 若殿にお会いしたい……
このまま命が断たれるのなら、
一目でいい、若殿に……

 最後は信忠に思いが行き着く。

 若殿と生きていきたい……
ひとつしかないこの命……
許されるなら、お傍に仕え……

 激しい痛みに思考が分断される。
その中でも、ここには居ない信忠を思う。

 何をどうすれば許されるのか……
穏やかな若殿をあれまで怒らせたのはこの儂だけだ……

 かつてない痛みの中、清三郎の言葉が蘇った。

 「誰にでも平等に接する若殿が、
違う態度をお見せになるのは唯一、仙様にだけ……」

 もしや、清三郎は正しかったのか。
何らかの理由で信忠は仙千代を嫌う振りを敢えてしたのか。

 清三郎、そうなのか?
清三郎、儂は間違っていた、そうなのか?
若殿だけを見ていた(せい)の言うことは合っていた、
そうなのか?……

 それにしても夢か幻か、
仙千代を強く押し出した手の主は、
清三郎であるとしか思われなかった。

 清三郎、あの大瓢箪はずいぶん重かった……
若殿の為にだけ、清三郎は……

 微睡み始めた仙千代を信長が呼び起こす。

 「声が返らぬ!仙千代!
ひとことでいい、何かひとこと!……」

 ほとんど怒声に近かった。
また、思い余ってか、覆ってくるのが重かった。

 殿、重うございます、
御身が重うございます……

 しかし信長は仙千代を掻き抱き、
頬に頬を擦り付け、声を放って泣いた。

 「仙!死んではならん!
儂の許可なく死んではならん!」

 たださえ地声の大きな信長の絶叫が耳に刺さる。

 殿、御声が大きゅうございます、
耳が痛うございます……

 ぐいぐいと頬に頬を押し付けられて、
髭が痛かった。

 「仙千代!今さっき、目を開いたではないか!
痛むのか、辛いのか」

 涙声に鼻をすすり上げる音が混じる。

 痛く、辛うございます……
しかも、御声が耳に響いて……

 信長の激情家ぶりを知る仙千代は、
怪我人の容態を悪化させかねない振舞に呆れつつも、
痛みと戦う意識の中で感謝の念を抱いた。

 斬られた箇所から毒素が入り、身を回ったか、
雨に打たれて風邪をこじらせたか、
仙千代は全身が熱を帯び、寒気が酷かった。

 背の傷も、失神できるなら、してしまいたいほど、
ぐっさりと痛い。

 「仙千代!儂の仙千代!」

 信長は怒りが怒りを招き、燃え怒ることも多々あるが、
情愛の表し様も同様で、
自分で自分の情熱に燃料をよく投下した。
 仙千代が意識を戻した瞬間を先ほど認めた信長は、
幾度も名を叫び、眠りの世界へ逃げ込むことを許さない。

 殿、ありがとうございます、
なれど、お願いです、今はそっとして……

 と心で呟いた時、養父(ちち)の声がした。

 「総大将様。仙千代は連れて帰ります」




 
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