第126話 小木江城 痛覚

文字数 1,166文字

 良い物を着て、美味いものを食べ、浄い水を飲み、
御殿に住んで、弱く貧しい者を虐げ、苦しめるのか!
やるならやれ!殺せ、一気に!……

 断末魔の声が仙千代の意識に響く。

 あいつ、あいつだ、
儂を殺そうとした一揆の者だ、
あいつの声だ……
 あいつは捕縛され、苛烈な尋問を受けているのか……

 豪雨と雷鳴の中、小木江城の古井戸で、
仙千代は、憎悪を眼に光らせた若者と刃を交え、
一分でも引いたならどちらがやられるか分からない拮抗の末、
足を払ってなぎ倒し、
背に跨って腕を捩じり上げている最中、
肩から腰に鋭い痛みを感じ、やがて振り向くと、
そこに大人の脚が見え、甲に小太刀を突き立てた後、
獣のような悲鳴を確かに耳にし、
そこから先は雨と(いかづち)の音以外、すべての感覚がなくなって、
痛覚さえも消え失せていた。

 夢か幻か、滑るように誰か、
または何かを相手に踊っていたら喉が渇いて、
若い船頭がやって来ると、
甘い水を差し出し、異国の言葉で語り掛け、
海へと連れられていった。
 童達が側転していた紫陽花の花筏(はないかだ)が無人となった時、
中空の蛍の車輪に従ってゆこうとした仙千代を、
船頭が強い力で押し戻し、何処かへ消えた。

 清三郎!清であろう?
船頭、おまえは(せい)であろう?
何処へ行くのだ、何故、儂を押し出した、
儂もそこへ行く、共に……

 入れ替わり立ち代わり、夢幻(ゆめまぼろし)が襲い、
仙千代を休ませない。
 非常な悪寒と激烈な痛みで目を開けた。

 見覚えのある天井絵が視界に入る。

 ああ、小木江の城の殿の御寝所だ……

 雅な花鳥風月は、
肩から腰への仙千代の痛みにそぐわなかった。

 眼差しを低く移すと、真横は信長だった。
泣きはらしていたのかのように目は腫れて、
いつも血色が良いはずなのに肌が乾いて白かった。
 
 次に居たのは万見の養父(ちち)で、
内心の狼狽を仙千代は見て取ったが、
信長の在り様に圧倒されたか、
臆すかのように感情を押し殺していた。
 
 足元は竹丸だった。
仙千代の看病をしていたのか、疲労の色が濃く、
眼が充血している。

 「仙千代!気付いたか!仙千代!」

 養父ではなく信長が叫ぶ。

 「仙千代!仙千代!」

 雄叫びのような声を発して信長が仙千代に覆い被さった。

 「仙千代!一声でいい、声を」

 信長が号泣混じりに叫ぶ。

 「仙千代!儂の仙千代!」

 殿、仙千代は無事でございます、
どうか御心配なさらずに、どうか……

 と言おうとし、万見の養父の姿を認めると、
養父にも、

 父上、仙千代は生きております、
生きて、息をしております、
父上の子は、あんなことではくたばりません……

 と伝えたい思いが募り、
疲労困憊の竹丸を認めると、

 竹!竹丸!
儂は死にかけたのか?今、生きておるのか?
竹、背中も腰も痛い!痛くてたまらん……
竹丸、痛い、何とかしてくれ……

 という声も湧き上がり、
結局、誰にも何も言えず、目を閉じ、
痛みの世界へふたたび戻った。

 



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