第369話 志多羅での軍議(3)忠次の嫡子

文字数 868文字

 康政の声が止み、
一瞬の静寂を挟んだところで信長が、

 「東三河を預かっておるのは、
酒井であったな」

 と、何事か思量するかのようにも聞こえる言い様(いいよう)をした。

 「御意!」

 徳川家の筆頭家老の酒井忠次が、
緊張を隠しもせず信長の視線を受け止めた。

 忠次は家康の譜代の臣下で、
父子程も齢が違った。
 それも当然で、
忠次の(つま)は家康の叔母だった。
 家康は三河の東を酒井忠次に任せ、
家臣というよりも、
一族の長老として遇していた。
 二十八年前、
信長の父と今川義元の間で戦後処理があった際、
家康は今川家の人質となり、
忠次は家康に従って、駿府で日々を共にした。
 もちろん、忠次も、
池鯉鮒(ちりゅう)に信長を出迎えた石川数正同様、
家康の護りで尾張に身を置いた時期があったことから、
信長の吉法師時代を知っている。

 上様が酒井殿を名指しで呼ばれたからには、
某か、お考えがおありになるはず……
それは如何なるものなのか……

 仙千代のみならず、
誰もが固唾を飲んだ。

 「此度の戦に嫡男を連れてきておると聞く」

 この機に及び、忠次の息子の話とは、
意外といえば意外に聞こえ、
諸将の幾人かは驚きの色を浮かべる者も居た。

 「はっ!元服を終えたばかりの小輩なれど、
三河の最大事にありますれば、
足手まといにならぬよう、
一命を賭して奮戦せよと申し聞かせ、
今も我が陣に侍しております」

 「幾つか」

 「十二でござる」

 信長は頷き(うなづき)、深い得心の表情を見せた。

 信長よりも年嵩で五十路が近いと見える忠次の嫡男が、
僅か十二ということは、
駿府の時代が長く、
婚期が遅れたことを意味していた。

 十二歳……
その子は徳川、三河の一大事の為、
おそらく、急ぎ、元服させたのだろう、
酒井殿の御覚悟、
上様は確と(しかと)受け止められた……
そして、それを口にされた意味は何だ……

 緊迫の評定の場で、
信長が無駄口を叩くことは有り得なかった。
かといって、具体的な策があるのなら、
信長は回りくどい言い方はしない。

 忠次の決意の程を知った信長の思考が、
何処を巡っているのか、
忠次に何を求めているのか、
仙千代は凡そ(およそ)のところを察しつつ、
全身を耳にした。



 

 











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