第6話 長月の岐阜

文字数 1,359文字

 浅井、朝倉と決着を付ける意気込みで出陣した信長は、
虎御前山に城を構築し、新たな砦を八相山と宮部村に築き、
軍勢の通行の便をはかる為、幅三間半の道路を高く作って、
高さ一丈の築地も五十町に渡って設置した。
 砦や城の周囲には多くの設備を施し、
織田軍の首尾は万全だった。

 ところがこの地の朝倉勢がまったく動こうとしなかった。
信長は堀秀政を使者として派遣し、
膠着状態の打破を期待して、日限を決めて一戦を交え、
決着をつけようと申し入れたが、返事は無かった。

 木下藤吉郎を筆頭に軍勢を虎御前山に留め置き、
信長と信重は近江を離れ、
岐阜を出立して約二ヵ月の長月十六日、城へ帰還した。

 夕刻が迫っていて、帰陣式は手短に行われた。

 城の麓には留守居の家臣や小姓、小者(こもの)中間(ちゅうげん)が待ち受けていて、
信重の異母弟(おとうと)達と共に居る仙千代の姿もあった。

 せがまれたのか、仙千代は一人を背負い、
もう一人は仙千代の横にぴったり張り付いている。
 信重は、日ごろ、兄弟付き合いを戒められていて、
弟達と親しく交わることはなかった。
 弟達も信重を、若殿と呼び、礼する。
信重にとって兄弟は主従の仲で、常に寄り添う小姓達の方が、
よほど身近な存在だった。

 仙千代が弟達に懐かれている姿が微笑ましく、
岐阜へ帰ってきたのだと、信重はしみじみ実感した。
 
 たださえ久しぶりなのに、
ひと夏を経て、日焼けした仙千代がいっそう新鮮に映る。
 
 「若殿は悪くない」

 「幸せだった。仙千代の喜びのすべて……だった」

 それら仙千代の別れ際の声が蘇り、耳元でこだまする。

 仙千代も信重を見ていることは明らかだった。

 今も慕ってくれているのか……
 あれほど酷い言葉を投げ付け、蔑んだのに……

 逆光で見え辛いのか、
信重の姿を見失うまいとする仙千代がいじらしく、
健気にも未だ思ってくれているのかと、
信重こそ、あらためて恋慕の情が募る。

 もっと仙千代を見ていたかった。
しかし、一瞥するだけで目線は外した。
目が合えば、信重の心底を知られてしまいそうだった。

 「仙千代!」

 父が仙千代を呼ぶ。

 仙千代は背負っていた弟をゆっくり下ろし、
体を寄せていたもう一人の弟にも何やら言い含め、
他の小姓に二人を任せると、

 「はい!ただ今!」

 と大きな声で答え、こちらへ近付いてきた。

 旅の疲れがないわけではない父が、
仙千代には機嫌よく接する。

 「御無事で御帰還、何よりでございます!」

 臣下としての礼節で仙千代は父に接した。
 直ぐ傍に信重も居るのであるから、続けて信重にも、

 「初陣を無事に済まされ、真におめでとうございます!」

 と告げた。

 信重は気のない表情で、

 「うむ」

 とだけ答え、他の小姓の手を借り、旅装を解きながら、
二人の会話を聞くでもなく聞いた。

 「よく日に焼けて。夏の間、よほど泳いだのだな」

 「毎日のように、
若君様達の水練に御伴させていただいておりました」

 「若君達が懐いておるのはその為か」

 父は相好を崩し、遠巻きにしていた弟達全員を呼び寄せた。

 「殿、御帰りなさいませ!
若殿、御帰りなさいませ!」

 あどけない声が信長と信重を包む。
一瞬、信重の心中が温かな感傷で満ちる。

 しかし今宵は、帰還を祝い、小規模ながら宴があった。

 父が仙千代を寵愛する様を目の当たりにするのかと、
信重の気分は沈んだ。

 


 



 

 

 



 


 
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