第306話 爛漫の岐阜城(3)

文字数 1,655文字

 日頃から朗らかな勝九郎はともかく、
常は騒ぎ立てたりすることのない竹丸までも、
新たな邸の素晴らしさに、
いつになく燥いで(はしゃいで)興奮している。
 竹丸曰く、(はり)と柱の繋ぎ方ひとつ見ても、
名工の仕業だと知れる素晴らしい造作だということで、
仙千代も勝九郎も竹丸から蘊蓄(うんちく)を授けられ、
感心しつつ聞いてはいたが、

 「分かっておるのか?儂の話を」

 と訊かれた時には、

 「ああ、まあ」

 「上様や堀様のこと故、それはもう」

 というような意味不明領な返しをし、
竹丸に呆れられ、不機嫌にもし、
仙千代と勝九郎は苦笑がこぼれた。

 三邸は秀政邸の真ん前に並んで建っており、
設え(しつらえ)、広さ、方角と、
特別な序列はなかった。

 秀政が、

 「まあ、年功で、東側から順に、
竹、仙、勝と入れば良いであろう」

 と決め、三人も異存はなかった。

 「ただ、一点、確と(しかと)申し述べておく。
本来、屋敷地を拝領すれば、邸は自前で建てるもの。
それを此度、上様の特別なる思召し(おぼしめし)により、
三人は身ひとつでの入居が叶った。
これは、かつて無いことだ。
当面、日々の暮らしに困らぬよう、
文机から箪笥、書棚、食器に至るまで用意され、
厨房番や小者(こもの)まで付けられておる。
まさに前代未聞。
上様の格別なる御配慮に一にも二にも感謝をし、
御恩を忘れず、粉骨砕身、忠節を尽くすのだ」

 三人はひたすらに有り難く、(こうべ)を垂れた。

 各自、あてがわれた新居に入り、
仙千代も邸内を見て回り、
信長の命で付けられた料理人と下働きの家人(けにん)の男と挨拶を交わし、

 そういえば、扶持を払わねばならぬ……

 と思い付き、正直なところ、
如何ほどであれば妥当なのか二人に訊こうとしたところ、
世長けた風情の料理番が、

 「我らは今年の分をもう頂戴しております」

 と言った。
どうやらこれも信長の「思召し」なのだと仙千代は知った。
 
 とはいえ、仙千代の禄高は、
既に相当なものになっていて、
城へ上がって瞬く間に万見の養父(ちち)を抜き、
二年目の一昨年はその数倍はあって、
四年目の今では、
侍大将の額に匹敵している上、
侍大将とは違い、戦では隊を組織するどころか、
信長に侍る立場では出費らしい出費は皆無に近く、
得た禄はほぼそのまま貯まる一方だった。

 信長の濃やかな配慮には、
ただ感謝の二文字しか無かった。
 しかし、これだけの邸を拝領し、住まうとなれば、
使用人や家来を置かねばならず、
仙千代は金はあっても、
それらを集める術が無かった。

 竹丸は、
父君の長谷川様が御家来衆をこちらへ呼ばれるだろう、
勝九郎も池田様が家臣をお付けになられる……
 儂はどうすればいい?……
我が家には家臣が居らぬ……

 仙千代は尾張国 神子田長門守(みこだながとのかみ)の一族に生まれた。
 実父が長子でなかった上に、何人もの兄が居り、
男子余りの家に生まれた仙千代は、
物心つく頃には(かばね)が万見となっていた。
鯏浦(うぐいうら)神子田(みこだ)家当主の正室が万見家の出であったことから、
養子話が決まり、
織田家に仕えて二代目の万見家二男(じなん)であった養父(ちち)に引き取られた。
記憶に薄い実の両親は既に他界していて、
実兄達は織田家に臣従している者、
羽柴秀吉と親しい者など、皆それぞれ武門の筋だが、
仙千代の弟達は仏門や医道に進んだ。
 現段階、皮肉なことに、
神子田の名ではなくなった仙千代が、
最も出世していることになる。

 父上に相談しようか……
いや、父上を困らせる結果になるだけではないのか……

 やはり父には言えないと仙千代は思った。
父ではどうにもできないことを話したならば、
心配をかけ、苦しませるだけになる。

 儂の出世を父上はお喜びじゃ……
豊かではない暮らしの中で、
あれほどに大切に育てて下さった父上に、
心配事など話せるわけがない……

 先程までの天にも昇るような浮き立つ思いは消え、
今や、目の前の問題が仙千代に圧し掛かっていた。
 万見本家や神子田家に、
助けを求めることが不可能なわけではないが、
それをすれば、
文武の心得のある者を引き抜くことになり、
面倒な問題になることは目に見えていた。
有為の人物の取り合いで遺恨を残すことは間々あって、
不用意な振舞は決して出来ないことだった。

 


 

 
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