第10話 竹丸の叔父

文字数 1,302文字

 霜月下旬、そろそろ師走が近いという頃、
武田信玄が二俣の城を包囲した。
 窮地に陥った徳川家康への援軍を信長は送った。
しかし信玄の勢いは増すばかりで、家康の劣勢は続いた。
 やがて三方ヶ原で足軽同士の小競り合いが始まった。
師走の下旬、一番合戦で、織田軍の諸将、家臣が数名、
亡くなり、家康は戦線の中央部を切り取られ、乱戦になった。
 弓の名手の家康は辛うじて応戦し、
浜松の城へ逃げ帰った。
 信玄はこの合戦で勝利を得て、進軍を尚、西へ向けた。

 信重は初陣前にもすべての評定に同席していたが、
今では信長が執務や謁見を行う際もほぼ一緒に居て、
後継としての学びに余念がない日々を送っていた。

 徳川軍が、
三方ヶ原で敗戦を喫したという報が岐阜に届けられた時、
信長、信重、堀秀政、竹丸、仙千代、祐筆が同じ部屋に居た。

 書状を目にした信長の顔が曇り、眉間の皴が深まった。
その表情は単に負け戦を知っての顔というのではなく、
何かを堪えているかのような面持ちだった。

 「殿、いかが遊ばされたのです?」

 信長の常とは違った雰囲気に秀政が声を掛けた。

 信長が信重に書状を渡し、次に秀政へと渡って、
受け取って読んだその目が見開いた。

 秀政は、

 「心して読め」

 と竹丸に告げ、書状に目を通した竹丸は一瞬、呆けると、
たちまち顔を覆って泣き出した。

 最後に見たのは仙千代と、祐筆だった。
書状には、

 長谷川橋介様、御討ち死に……
長谷川……あっ、竹丸の叔父君!……

 会ったことはないが、竹丸から時に話は聞いていた。
永禄三年、尾張統一すら未だ果たせぬ信長が、
大大名、今川義元と戦った桶狭間の合戦、
朝、共に出立した近侍(きんじ)はわずか五名だった。
虚け(うつけ)と呼ばれ、素行が改まらぬ信長の為、
傳役(もり)の平手政秀が諫死し、
家中に信を置けるものが如何に少なかったかという時代、
信長は幼少の頃から召し使っていた長谷川橋介ら五人の小姓のみ、
引き連れて、死に地となるやもしれぬ桶狭間へと発った。

 五名のうち四名は、織田家が躍進する過程で、
徳川家へと籍を移していた。
徳川家には信長の長女、徳姫が嫡男に嫁ぎ、
橋介ら四人は事実上、
徳姫の御付人(おつけびと)としての任を担い、高給で遇されていた。

 信長が最も苦しかった時期を支えた小姓の四人が、
今回、死んだ。

 信長の目にうっすら涙が滲むのを、仙千代は初めて見た。

 秀政が竹丸の背に手を置き、発した。

 「比類ない御活躍の上、御討ち死に……
左様に書かれている。流石、殿の御小姓衆、見事な最後じゃ」

 竹丸の嗚咽は続いていたが、やがて顔を上げ、

 「戦で死ぬは武士の本懐。
徳川様のお役に立って、叔父も後悔はございませんでしょう」

 竹丸にとっては父親の弟で、仙千代がその名を聞く時、
竹丸はいつも誇らしげだった。

 信長が竹丸を茶室に誘った。

 「一服たてて進ぜよう」

 君主が一小姓に茶を点てるなど通常、有り得ない。
だが竹丸も恐縮する素振りを敢えてせず、従った。
 泣き濡れていた竹丸は当然のこと、
信長の背にも哀しみが見て取れた。

 数多の一族、郎党、家臣を失ってきた信長であっても、
特別な存在があるのだと仙千代は知った。
 長谷川橋介も、その一人なのだった。

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

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