第330話 蓮景色(1)

文字数 1,594文字

  蓮の田はあと少し経てば、蕾が膨らみ、
梅雨ともなれば美しい大輪の花が咲く。
 昨年、
長島の一向衆が根絶やしにされた一部始終を、
蓮は見ていた。
 今は初夏を思わせる爽やかな陽光を浴び、
開花を静かに待っている。
 あの世の蓮も、
この時期はやはり花の準備をしているのだろうかと、
仙千代は思った。

 みっしり植わった蓮の合間を何かが動いた。

 「あっ!あ奴!こらっ!」

 と声を上げた彦七郎に、

 「何者か」

 仙千代が問うた。

 彦七郎に特別な緊張は無く、
どちらかといえば、
イタチやハクビシンを見掛けた時に思わず発するような、
その手の類いの響きで、
仙千代も尋ね返しつつ、危険は感じずにいた。

 小者の一人が、

 「追いますか?」

 と言うので、仙千代が彦七郎を見遣ると、

 「村の童です故、
放っておけば宜しいでしょう。
おそらく野次馬の度が過ぎるのです」

 と、仙千代に呆れ顔を向けた。

 「知っておるのか?」

 馬上で並んで北へ向かいつつ、話している。

 「顔だけは。
昨日、爺様を拝ませてもらい、万見家を後にする際、
屋敷付近で見掛け、
次は我が家の傍で見て、
今朝は今朝で万見家の旧邸内で話していた時、
庭にちらと姿がありました」

 「よほど我らが気になると見える。
見送りの顔触れの中にも居たのか」

 「ええ。まあ、物見高いのですよ。
天下を治める上様にお仕えする侍が来たというので、
好奇心が抑えきれず、
追って回っているのでしょう」

 「それにしても熱心な」

 「まったく。
ここから先は渡しになります故、
流石に付いて来ないでしょうが、
万一にも見付けるようなことがあったなら、
次は怒鳴るだけでは終わらせませぬ。
首根っこを押さえ、田んぼに突っ込んでやります」

 「そこまでせぬでも」

 「私はコソコソする奴は嫌いなのです」

 「野良犬を追い払うが如くに扱われた故、
コソコソしておるのであろうよ」

 仙千代を守護する役目を帯びての義務心か、
彦七郎は馬体を近付け、

 「殿!甘い顔はいけませぬ。
奴は、おそらく村の童でありましょう。
だが、親は何処の誰に通じておるか、
たとえ農民であっても油断はなりませぬ。
百姓とて、戦になれば雑兵となり、
常とても百姓同士で争って刃傷沙汰は日常茶飯。
年貢を巡っては強硬な態度を見せ、
気に入らねば土地を放って遁走し、
村同士の諍いが大きくなれば戦まがいのことも。
充分存じておられましょうが、
田畑を耕しておるだけが百姓ではないのです」

 と長説法した。
 彦七郎の話すことは尤もで、
確かに百姓を侮ることは厳禁で、
長年あれほど信長を苦しめ、
今も和睦には遠い本願寺が各地で挙兵させている一揆軍も、
ほとんど農民出身か、農民そのものだった。
 農民だから武器を持ってはならぬという法は無く、
例えば、
尾張国 庄内川東岸で刀鍛冶を生業とする集団も、
もとはといえば百姓で、
鋤 鍬 鎌(すき くわ かま)といった農具の手入れを請け負う間に、
刀剣製造も行うようになり、
当然、武装集団に変容するだけの潜在力を持していた。

 仙千代は、

 「堀様の薫陶か。
堀様が仰せになられたことなのか」

 そうだと言わんばかりに彦七郎は口を引き締めた。
おそらく堀秀政は、何事も見落とさず、
小さな変化や異常も、
捨て置いてはならないという意味で言ったのに違いなかった。

 「その意気や良しだが、あれは違う」

 「違うと何故、分かるのです」

 「万見の屋敷地内や、
先程の見送りにまで顔を出し、
散々こちらに見られて面が割れ……
後ろ暗さがあるとは思われぬ」

 「それはまあ……」

 「放っておけ。
野次馬の度が過ぎる童だと申したのは、
そもそも何処の誰であったか」

 「うむむ……」

 彦七郎は矛盾を突かれ、引き下がった。

 「当面、帰省はもう無いであろうから、
あの坊主を見ることもない。
次に会うのは一年先か、いや、二年先か……」

 「確かに」

 が、木曽川河畔の渡しに着くと、
船頭と言葉を交わす童が居て、
紛れもなく、(くだん)の男児なのだった。



 
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