第304話 爛漫の岐阜城(1)

文字数 1,762文字

 如月の末、
白銀の御嶽山(おんたけさん)を仰ぎつつ、
伊吹おろしの中、
美濃を発って二ヶ月が過ぎていた。
 
 卯月、春爛漫の岐阜城は、
快晴の空を背景として、
稲葉山に聳え(そびえ)立っていた。
迎賓館の黄金の(いらか)が朝日を浴びて燦然と光を放つ。

 ああ、帰ってきた……
長良の川面の煌めき、雪解け水のせせらぎ……

 信忠も城に戻っていると聞いていた。
三河の足助(あすけ)の戦況は膠着状態に陥って、
岐阜へ帰った信忠は、
戦支度に余念がないということだった。

 いずれ、間違いなく徳川様から援軍要請が来る……
武田はどれだけの兵を三河へ参集させるのか……
騎馬に優れる武田を相手とする此度の戦は、
鉄砲の数が勝敗を決めると上様は仰った……

 信長は、武田勝頼との戦を控え、
配下すべてに命令をして、
鉄砲を集め得る限り集めよと号令をかけていた。

 目端の利く羽柴様あたり、
相当数を用意されるだろうことは間違いない……

 いつも日に焼けている、
齢の割に皴の多い、よく表情の変わる顔、
素早しこい小動物のような羽柴秀吉の姿を思い出すと、
腹の虫が鳴った。
 平時であれば、秀吉は、
信長に見まえる度ごと、名産や珍味を携え、
献上するのみならず、
小姓達にも必ず手土産を持ってきて、
前回は、京で相国寺に滞在していた時、
彼岸の頃の牡丹餅(ぼたもち)だった。

 小姓達が集まっているところに、
折よく姿を見せた秀吉は、

 「御小姓衆の皆様は食べ盛りの年頃ゆえに、
菓子(どころ)に頼み、特別大きく作らせ申した。
京の菓子は小そうて、食えども食えども腹が膨らまぬ」

 と、随伴の石田佐吉、
加藤夜叉若(やしゃわか)といった小姓に持たせた包みを、
笑顔満面で指した。

 池田勝九郎が茶々を入れた。

 「菓子は、
腹を満たす為に食すものなのでございますか」

 秀吉は、してやられたとばかりに、
額へぴしゃっと手を当てて、

 「確かに!勝九郎殿の言われる通り!」

 と大袈裟に笑ってみせ、

 「何せ、儂の餅は格別ですぞ、ほれ!」

 と、勢いよく菓子折りの蓋を開けると、
小姓達を自慢気に見渡した。

 「名付けて、藤吉郎餅!
二つも食べれば百人力!」
 
 「わあ!これは!」

 「拳骨(げんこつ)のよう!」

 「猫の頭ほどもありまする!」

 皆々の驚く様に満悦の秀吉は、

 「儂も頂きますかな!儂は一つで満腹に、」

 と、そこまで言って、

 「満腹になる為に食すのではございませんでしたな。
しかし、今日ばかりは言わせて下され、
やはりこれは満腹餅!藤吉郎の満腹餅!」

 「羽柴様の満腹餅、頂戴致します!」

 「頂きます!」

 特別に作らせた普通の倍、三倍もある牡丹餅は、
京の菓子職人には、
尾張の田舎侍と馬鹿にされたのかもしれないが、
仙千代とて、
おちょぼ口で食べ終えられる菓子よりは、
「藤吉郎の満腹餅」の方がよほど嬉しく、
しかも、味は、流石に上等で、
今も思い出すと、口中に唾がわく。

 信長の直ぐ脇に付いていた仙千代の腹が、
ぐぅーっと鳴った。

 「仙!腹に何やら物の怪(もののけ)を住まわせておるな!」

 音を信長に聞かれてしまった。

 「私ではございませぬ」

 仙千代はぬけぬけと言い張った。

 「では誰なのだ、行儀の悪い」

 「そちらの御仁では?」

 仙千代が指した方向には竹丸が居た。

 「わ、私ですか?違います!」

 「仙は竹だと申しておる」

 「上様は仙千代の味方でいらっしゃるのですか!」

 「誰であれ、正しいことを言う者の味方だ」

 仙千代と竹丸が同時に答えた。

 「ならば、私でございます!」

 「それは私でございます!」

 すると、またしてもグウウと誰かの腹が鳴った。
三人がそちらを見遣ると、秀政だった。
 暗い内に慌ただしく佐和山を発ち、
誰もが十分には食べていなかった。

 「次は菊か。皆、腹を鳴らすのが上手いのう」

 菊とは秀政の幼名、菊千代を指している。

 「私ではございませぬ!
きっとそこの者でしょう」

 秀政が転嫁したのは勝九郎だった。

 少し離れていた勝九郎は話題の中身を知らず、

 「何でしょう、私がどうかしましたか?」

 と目的地が目の前である安堵と喜びからか、
ニコニコしている。

 信長はじめ、誰もが笑った。
勝九郎だけ、最後まで意味が分からず、
少しばかり解せない顔で、頬を膨らませていた。

 冗談はさておき、
果たして何方が(どなたが)どれ程の種子島(鉄砲)を、
三河での決戦に持ち込まれるのか、
大将殿達も戦の前から競い合いが始まっている……

 仙千代は羽柴秀吉のみならず、
諸将の顔を思い浮かべた。




 

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