第26話 竹丸の怒り

文字数 1,349文字

 喧嘩の後、仙千代は、竹丸から自室に押し込まれ、

 「沙汰が下るまで一歩も出るな!」

 と言われた。

 床に投げられた格好の仙千代が見上げると、
竹丸は仁王立ちになって身体を震わせていた。

 「厠は行っても良いのか」

 と訊くと、

 「知らん!」

 と大きな声で返された。

 「何をそんな、怒るんじゃ。竹には関係ない」

 我ながら妙な言い草だと知っている。
小姓同士の喧嘩は御法度の上、
仙千代より若輩の小姓達がけして少なくない今、
手本を示すべき仙千代が醜態を晒してしまった。

 視界がはっきりしないので拭ってみると目尻が痛く、
手に血が付いた。頬には鈍痛があり、唇の端も切れている。
 腹も背も脚も痛い。おそらく紫に腫れ上がっている。

 仙千代に背を向け、出ていこうとする竹丸の後ろ姿に、

 「竹丸、傷が痛む。せめて顔を洗いたい」

 と暗に水を持って来てほしいと含みを投げると、

 「何を甘えとる!」

 と大声が飛び、同時に頬に拳で一発食らった。
殴ったくせに、竹丸は涙を堪えているようにも見えた。

 いつもの竹丸なら、仙千代に同情し、
慰めてくれそうなものだが、この時は違った。

 「痛いではないか、竹!」

 頬が凹んだかと思い触れてみた。
偽大将達と取っ組み合った怪我と合わさり、
何が何処の痛みなのか、判明しない。

 「痛みは感じるか、大だわけでも!」

 「大だわけ……」

 「挑発に乗るな!あんな奴らの。
あの様は殿とて庇いきれはせぬ。相手次第では手討ちにすらなる。
何度騒動を起こせば気が済む!仙は大だわけ、糞だわけじゃ!」

 「家名を汚されて黙ってはおれぬ!」

 「いびり返してやればいいことだ!出世が先だ!」

 「違う、今の今、許せないんじゃ!」

 「殿の御寵愛を無にするな!」

 竹丸のような深謀遠慮は、
仙千代にはまだ備わっていない。

 「万見様も仰るであろう!
命を安売りするなとな!戦で死ぬるは名誉!
厨房の喧嘩騒ぎで沙汰を受けるは不名誉だ」

 「腹が立ったんじゃ、養父(ちち)上までも汚されたようで」

 ひとこと発するたび、顔面の痛みが疼きに疼く。

 竹丸が踵を返した。

 「竹丸ー!」

 「やかましい!おのれの(けつ)はおのれで拭け!」

 仙千代は一人になった。
その後、厠は行ったが、顔も洗わず、着替えもせず、
寒い部屋の片隅でうずくまった。

 いくら殿が可愛がってくださっているとはいえ、
此度こそ、ただでは済まない……
相手は素手で、こっちは大根で取っ替え引っ替え……
たとえ三対二でも許されはしない……

 だが、信長の仙千代に対する思いの強さも
今はそれなりに理解し始めていて、
いったい自分の何がそんなに気に入られているのかは謎ながら、
見詰める瞳の純なことにはドキッとさせられることがある。
そういう時の信長からは真っ直ぐな愛慕の情が感じられ、
仙千代が曲がったことをせぬ限り、
見放されはしないのではないかという、
自惚れにも似た思いが浮かぶ。

 自室に籠って謹慎か、家に帰されてしばらく蟄居か……

 仙千代は沙汰を推し量った。
 そして、清三郎も脳裏に浮かぶ。

 あいつもどうなるのか……
いや、あいつこそ、家業に戻れば良い、
甲冑作りが好きだというではないか、
うん、あいつは清須へ帰って甲冑商になるのが似合いじゃ……

 信重と清三郎を並べて目にすることが苦しくて、
仙千代はそこだけは都合よく考えた。




 

 


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