第409話 仏法僧の夜(8)陣城の行方③

文字数 1,405文字

  石川数正の使いは急いているようだったので、

 「御使者がお待ちでございます」

 と仙千代は促した。

 「うむ」

 「上様にしては(めず)らかでいらっしゃる。
迷われておいでなのですか」

 「流石にな。
使い道には困らん。
一気に切り出させた故、
美濃は材木が高騰し、品薄になっておる。
領民に左様な意味では迷惑をかけておるでな、
良品を選って(よって)
尾張や美濃の民に恵んでやれば、
普請や造営の助けになるであろう」

 「かといって、
稀に見る大勝利を収めた天下の上様が、
疲労困憊の兵達に、
あれらを持って帰らせるというのも、
見栄(みば)が良いとは申せませず」

 「何だ、ずいぶんズケズケ言うではないか」

 「御心は透けて見えておりまする。
志多羅は合戦場となり、
田や畑の荒れも少なからず。
 上様は、
東三河の百姓衆に美濃の優れた材木を、
置いてゆかれる御所存でございましょう。
この地は、
鳶ケ巣山(とびがすやま)砦奇襲隊を指揮された、
酒井様が徳川様より任されてお治めの地、
またとない置き土産でございます。
流石、上様。
この三河の国でも、
万民挙って(こぞって)上様の名を称え奉ることは、
間違いございません」

 「う……ううむ」

 小姓に二杯目の白湯を信長は注がせた。

 「此度の勝利は日の本じゅうに知れ渡り、
上様の御城下は一段と栄え、賑わいましょう。
この三河と異なり、
長らく戦場になっておりませぬ上様の領国は、
富むに任せて発展を続けております。
尾張、美濃の領民は、
他の策で救済してやれば宜しいのでは?」

 飲み干した信長の手から器を受け取り、
仙千代は小姓に渡した。

 「陣城の材が三河の民の役に立つとなれば、
岡崎の城に()わします徳姫様も、
さぞ、お喜びになられましょう」

 「うむ……三河には徳姫が居った。
確かにそうであった。
しかも姫は懐妊中にて、
この勝利は頗る(すこぶる)嬉しかろう」

 「徳姫様の御付け人であられた、
上様のかつての御小姓衆が、
三方ヶ原で御討死された今、
徳姫様の御心細さ、
察するに余りありましてございます。
陣城の築材を三河へ残して織田軍が去りますれば、
岡崎の松平家中に於いて、
徳姫様の御足元を固める新たな一助とも、
なりましょう」

 徳姫の姑、つまり家康の正室は、
ややこしいことに、
信長の桶狭間合戦での勝利が端緒となって、
大名家としては滅亡した今川家の一族だった。
 若い仙千代にも、
嫁姑の確執、鍔迫り合い(つばぜりあい)は相当なものだと、
推し量られた。

 「徳川家御嫡男、岡崎城主の御正室にして、
天下人の姫としてお育ちであらせられる徳姫様は、
城中の姫の誰よりも権勢を誇り、
盤石なる御立場にあらねばなりませぬ」

 この場合の城中の他の姫というのは、
徳姫の姑を事実上、指している。

 「夫婦(めおと)仲が良いとはいえ、
徳は幼き頃に嫁し、苦労しておるでな。
儂が気前の良いところを見せれば、
姫も心苦しからずやと思い、
事あるごとに何某か贈っておるが、
陣城の何万という材木は、
これまた派手な置土産ではある」

 と信長が髭を撫で始めたところで、
仙千代は一旦打ち切り、
建屋の外に向かい、

 「御使者殿、こちらへ!」

 と呼び、
その後、信長の視線を感じて主を見た。

 「仙千代」

 「はい」

 「儂を(あやつ)りおって」

 仙千代は軽く頭を叩かれた。
信長は苦笑していた。

 一気に唱え立て、
仙千代は喉がカラカラだった。
 そんな仙千代に、
小姓が白湯を差し出した。

 あっという間にゴクゴク飲み干して、

 「ふうっ」

 と息を吐くと、
信長の腹の底からの笑い声が今度は聴こえた。



 





 




 





 

 

 




 


 

 




 

 

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