第294話 土倉商(6)

文字数 1,620文字

 貞勝の話が一段落つくと、長秀が入った。

 「世の出来事や民の暮らしに目を配り、
心を添わせる。大切なことだ。
小さな変化を見逃さず、記憶に留め、
いざという時に用いる。
今回、仙千代は心の在り様が(すべ)となり、
相手の懐に入り込んだのだ」

 過分に褒められたと思うのか、
仙千代の頬が紅く染まった。

 「何やら、暑うございます」

 額の汗を拭う仙千代に、信長が、

 「既に夜が近い。寒さを覚える程だ」

 と、目を細め、言った。
 
 仙千代は図らずも、初の交渉を単独でまとめ上げ、
京で有数の豪商、
しかも足利家の旧臣の家柄である横倉家当主から信を受け、
織田家への援護、協力という大きな付随物まで得てみせた。

 深い教養、積み重ねられた経験が、
重々しさを漂わす端然とした趣の貞勝、
温厚そのものの肌合いに百戦の錬磨を秘めた長秀、
漲る(みなぎる)才が隠しようもなく鮮烈な秀政ら、
織田家有数の側近衆と並び居てさえ、
既に仙千代の輝きは見劣りがなかった。

 不思議な奴だ、仙千代は……
美しい者は他にも居る、
賢い者も心がけの良い者も、他に居る、
仙千代にはそれ以外の何かがある……

 信長は、ふと、仙千代の言葉を思い出した。

 「横倉は、
京や湖東の水利、水運を口にしたのだな」

 「左様でございます」

 長秀がまたも入った。

 「そこに横倉の野心が見えますな」

 信長は頷き(うなづき)、次に、

 「仙千代はどう聞いておった」

 と、振り向けた。

 「丹羽様と同様に受け止めておりました。
私に申すことはすべて上様に筒抜けでございます。
その上で口にされるということは、
丹羽様が仰る通り、
上様の御耳に届きますようにという思いで話されたものだと考えました」

 どれほどの富豪であっても、
債権を放棄させられる者達は誰もただでは引き下がらない。
金の力、有難味を誰より知っているのが富貴で、
金を得る苦労を知らず、
霞のように思っているのが公家公卿達だった。

 「ようよう、ついに、
足利との縁切りを決めたか、横倉基以(もとい)も」

 信長に、貞勝が答えた。

 「応仁の乱あたりで先祖は医業から退き、
土倉業に転じたようでございます。
(とも)へ下った将軍が京に居りました頃までは、
かつての主家に何某か、
援助をしておったやもしれませぬが、
この数年は足利家に横倉家の影はございませんでした。
今回、徳政令で織田家と縁が取り持たれ、
存外、悪くないと踏んでおるのやもしれませぬ」

 「うむ。財を成し、故郷の寺を再興し、
横倉はいよいよ本懐を遂げようとしておるのであろう、
そこへ徳政令が発布され、
一度は(はらわた)が煮えくり返ったであろうが、
仙千代と話すうち、
この儂に寄り添うことも悪くはないと踏んだのか」

 全員が信長に聴き入っていた。
と、勝九郎が、

 「上様、横倉基以の本懐とは、
京や湖東地域の道や水路の整備でありましょうか?
その費用を賄う覚悟があるという話なのですか?」

 と、問うた。

 「左様な計画があるのなら、
その際、横倉家としては、
座して黙しておるつもりはない、
金も出すが口も出す、
是非にも声を掛けてくれということじゃ」

 信長がそのように応じると、

 「我が方としますれば、
瓢箪から駒なのでございますね!」

 勝九郎は得心し、笑んだ。
その理解は大方の筋として間違ってはいないが、
勝九郎に何故か皆、笑ってしまった。

 「あの一帯は権益が入り組んでおる。
大湖(おおうみ)の周りは何処も難しい土地柄。
直ちには取り掛かれぬが、
幾筋もの道が交錯する重要な地ゆえ、
いっそうの整備が要されることは必定。
横倉屋は以後、
仙千代が受け持つこととして、
此度の縁を大切に、一段の飛躍を期すことだ。
たかが土倉商と思っておったが、
寺を再建したことといい、
故郷の発展を願う心根といい、流石の毛並みだ。
単なる金の亡者ではない。
仙千代は良い御仁に気に入られたものだ」

 一商人が、
それほどの事業援助の覚悟をするからには、
どのような見返りを求めるつもりかと信長は思ったが、
それこそ、そこから先の交渉が、
成長の試金石となると信長は楽しみに仙千代を見た。




 


 




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