第286話 徳政令(2)

文字数 1,351文字

 長秀が言った。

 「こう見えて、儂とて若い頃は上様に、
甚だ(はなはだ)妙し(たえし)と言われ、
元服すら、なかなか許していただけず、
(つま)を娶るのも近侍の中で最も遅かったのだ」

 確かに長秀は信長の信頼が厚く、
正室は、信長が庶兄(あに) 信広の娘をわざわざ一旦、
信長の養女に迎えた上で長秀に嫁がせるという寵愛の深さで、
長秀が子を得たのはようやく四年前のことだった。
 その婚姻で長秀は、信長の娘婿、
つまり一歳だけ年下の義理の息子ということになった。
 
 長秀は、本人が冗談めかして言うように、
四十の齢を迎えても容姿が整い、
往時の美童ぶりがしのばれた。

 「元服が済めば直ちに(つま)をと思っておったが、
結果を見れば斯様なことだ。
久太郎(ひさたろう)は来年にも御子が生まれるそうじゃな」

 水を向けられた秀政は満面で笑みを返した。

 「丹羽様の御嫡子 鍋丸(ぎみ)と五つ違いとなりまする」

 「仙千代は儂と似た道を行くかもしれぬぞ」

 以前も笑い話混じりで、竹丸や三郎に、
同じことを言われた覚えが仙千代はあった。
 長秀の丹羽家は、
尾張守護代の家臣の出ではあるが、
けして高位ではなく、
信長は長秀の地位を確とする為、
重用に重用を重ね、
あらゆる戦、交渉事に長秀を伴い、用いた。
 譜代の臣下、重臣が居並ぶ織田家で、
長秀がここまで盤石の地位を得たのは、
本人の才覚や努力のみならず、
まず信長の引きがあってのことだった。

 上様の丹羽様への御信頼は、
上様御自身が仰るように実の兄弟にも匹敵、
いや、それ以上なのやもしれぬ、
上様は丹羽様を、米にも喩え、
一日とて欠かせぬ存在だと仰せになっておられる……
そのように用いていただけるなら、
それ程の名誉はないが、
元服は人並み程度に、遅くとも、
来年か再来年には、きっと……

 と、仙千代は、
馬上から京の春風を頬に受けつつ、
漠とではあるが、考えた。
 ただ、一つ目上の竹丸も未だ元服を済ませておらず、
竹丸と同齢の三郎も同様だった。
 元服の年齢に決まりはないというものの、
早ければ十二、三、
遅くとも十八というのが相場と言えた。

 「仙千代、どうした、黙って」

 長秀が声を掛けてきた。

 「丹羽様!
万一、万々一、私の元服が遅くなりそうでしたら、 
上様に何卒、何卒、」

 「さあ、儂は知らん。儂は知らんぞ」

 「御婿様ではござらぬか、上様の」

 「それはそれ、これはこれ。
婿である前に、まず家臣。
忠臣たるもの、ひたすらに、
上様の思召し(おぼしめし)に従うのみじゃ」

 長秀は、さも可笑しそうに笑い捨て、

 「それ!」

 と常足の馬の腹を軽く蹴り、
幾らか足早にさせた。

 秀政も長秀の後に続いた。

 信長に届けられた岐阜からの書状には、
武田勝頼の三河侵攻を受け、
信忠が尾張衆を率い、
出陣したとの旨が認め(したため)られていた。

 初めて見知った時、
奇妙丸だった信忠が、
いつしか、
信長の居ない美濃 尾張を預けて間違いのない、
織田出羽介(でわのすけ)勘九郎信忠となり、
若武者だった秀政は室を得て子の父となり、
竹丸も自らの関心を深め、
選んだ道に邁進している。
 仙千代は、自分も負けられないと、
強く思った。
 信長から課せられた務めを万端こなし、
期された以上の成果を上げる。

 そして、いつの日か、
一国一城の主になってみせる、
いつか必ず!……
 
 仙千代は、長秀、秀政に倣い(ならい)
馬を速足にさせ、二人の背を追って、
桜の香りの京の道を駆けた。

 


 

 


 



 

 

 


 
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