第323話 帰郷(11)

文字数 2,122文字

 仙千代は、信長に敗北した服部家の窮状、
惨憺たる暮らしぶりを父との手紙(ふみ)のやり取りを通し、
知っていて、信長にそれを伝えたことがあった。

 父の物の見方を踏まえての話を仙千代は信長にして、
信長は、聞き終わった後に、
伊勢長島を与えた滝川一益がいずれ、
適った判断をするだろうと言い、
老人、女子供を相手に、
これ以上追い詰めるつもりはないという意志を示した。

 父は日頃、酒を嗜まないが、
仙千代の帰省を喜び、今夜は清酒があった。
 
 肴に、分葱(わけぎ)と浅利の味噌和え、
鯵の昆布締め、茹で蝦蛄(しゃこ)、菜の花のおひたし等が出た。
 蝦蛄は浜に上がる日と上がらない日があって、
手に入れることが出来ない日もあることから、
仙千代の帰省を母が如何に楽しみにしてくれていたか、
口へ運ぶ度、幸福という味が広がった。

 「仙は蝦蛄が好きだな」

 父も仙千代の好物を知っていて目を細めた。
まだ盃二杯かそこらであるのに、
その顔は赤らんでいた。

 「こればかりは岐阜でも京でも、
まず見掛けませぬ」

 「そうか。そうか」

 父の目は、いっそう細くなった。

 「ほんに美味しゅうございます」

 「ひとつひとつ殻を剥いておる故、
仙が食うとなると剥くのか、
儂だけの時には剥かぬなと言うたら、
母上に恐い顔をされた」

 父子で笑った。

 「して、服部衆は如何なったのです?」

 仙千代が話を戻した。

 「うむ、それがだな」

 父は一旦、盃を置いた。
 仙千代も同様にした。

 「男や若衆は長島での戦でほぼ皆が命を落とした故に、
老人、女子衆、童が主勢なれど、
何とこの近辺で開墾を許され、田畑(でんばた)仕事に勤しんでおる。
上様は長島城を勝ち取ると、
滝川の殿を城主に据えられた。
服部一族は桶狭間の合戦でも今川方に与し(くみし)
その後、一貫して上様に反抗するばかりであったが、
仙も存じておるように、
長島で壊滅的な大敗を喫し、
家は途絶えたも同然となった。
滝川様は、大雨ともなれば流される、
河原の小屋掛けに暮らす服部の面々に情けを掛けられ、
今後、
織田家に歯向かうことは致しませぬと証書を書かせ、
土地を与えられた」

 「土地を。
戦が終わって未だ、一年も経っておりませんのに」

 「海に近い、河口の辺りだ」

 「なるほど」

 それなら頷ける(うなづける)と仙千代は得心した。

 「誰もやりたがらぬ、塩害と水乱の地。
なれど、服部衆には有り難いばかりでありましょう」

 「うむ。
敗者に土地を与えるのかという者が居ないわけではないが、
儂はそれで良かったと思う。
貧しさは人心を荒廃させる。
種を蒔き、作物の成長を見守り、実りを頂く。
力のある一族として服部衆が培った知恵を、
これからは土を作り、人を作ることに使うのだ。
滝川様はつくづく、善い行いをされた。
わけても、服部家の小さな子らに」

 長らく信長に抵抗し続けた服部党は、
今や織田家に恭順の意を示し、
木曽、揖斐、長良という大河の口に土地を得て、
耕す道へ踏み出した。

 落ちぶれるにも落ちぶれようというものがあり、
若い男が居ない手勢でありながら、
砂利だらけの川べりで作物を植え、
自活の道を歩んだ服部家は、
けして物乞いではなく、
貧苦に喘ぎながらも矜持を保った。
 
 いつか滝川様が服部衆をお助けになると、
上様は予想しておられた……
 その通りに今、なっている……
滝川様は服部衆の気構えを潔しとされたのだ、
そして上様も、
滝川様の心根を見抜いておられた……

 仙千代は盃を口に運んだ。
澄んだ味わいが深く染み入る。

 すべて恩讐の彼方……
いずれかの地点で決着をつけなければ前に進めぬ……
この地も彼の地も、
日々、傷を癒しながら前に進んでいる……
少しづつ……

 酒に弱くない仙千代だったが、
家臣、家人を集める件の相談をする前に、
夕べは酔いがまわってしまい、
夜更けにふと目覚めると、
兵太や兵次に運ばれたものか、褥に横たわっていた。

 家来は父上にお任せしよう、
昨夜の御様子から見て、
思うところがおありになるに違いない……
父上は慌てず、悠々としておられた……
儂は大船に乗っておれば良い……

 再び眠りの世界へ落ちる前、
壁には、幼い仙千代が、
工夫を重ねて作った凧が掛けられているのが目に映り、
伊吹おろしの青空に舞っていた喧嘩凧が、
思い出された。
 
 最後に凧をあげた時、
仙千代は正月を迎え、十三才だった。
 凧を手に、
彦七郎、彦八郎と冬の田んぼを駆け回っていた。

 「空気が澄んで、
冬は他国の山までくっきりと……
四方の山々が尾張を飾る屏風のようじゃ……」

 睡魔の囁きが聴こえたような気がした。
その囁きは瑞々しく柔らかな響きを湛え、
三宅川の畔で並んで座り、語らった、
奇妙丸と呼ばれた少年の声に似ていた。

 奇妙丸様……
お懐かしゅうございます……
どちらに居られるのですか……
御声はすれど、御姿が見えませぬ……
御姿を見せてはくださらないのですか、
いえ、見ない方が良いのですか、
もう見てはならない奇妙丸様なのですか……

 微かに胸の奥に痛みを覚えた。
だが、景色は冬空になって、
可笑しなことに仙千代は自分が凧になり、
くるくると風に舞い、地上を眺めた。

 彦七郎と彦八郎が仰向いて、
宙の仙千代に大きく手を振っていた。

 「仙千代!」

 「仙千代!」

 名を呼ばれれば呼ばれるほど面白く、
仙千代は大空を飛び続けた。



 

 

 



 



 
 


 



 
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