第404話 仏法僧の夜(3)仙鳥①

文字数 1,684文字

 合戦によっては陽が落ちた後、
勝利した側が返り討ちに遭って、
陣が襲われる危険性がないではなかったが、
今回ばかりはそれは無かった。

 志多羅に展開した武田本隊は、
内藤昌豊、山県(やまがた)昌景、
馬場信春といった武田家の精神的支柱であった名将を失い、
勝頼の信濃に向けての敗走は、
織田、徳川の追討軍が確認していて、
勝頼が従えていた手勢は、
最後には、
百騎に満たなかったのではないかということだった。

 一日が長かった今日、
今夜の酒宴は形式的なものだった。
 酒肴も、さほどの量を必要としない。

 宴の支度がほぼ整ったところで、
仙千代は仏法僧を調理している三郎のもとに、
顔を出した。

 それより前、
仙鳥 仏法僧が射止められたと仙千代が言上(ごんじょう)すると、
信長は是非にも見たいと言い、
信忠、信雄(のぶかつ)も珍鳥を確かめた。

 笹の葉に身を横たえたコノハズクこと、
仏法僧は絶命して尚、虚空にくいっと目を開け、
竹笊(たけざる)を持した仙千代の手に、
鋭い鉤爪(かぎづめ)が獲物を狙って、
今にも掴み(つかみ)掛かってきそうだった。

 「如何にして食すのか」

 信長に仙千代が、

 「三郎が塩焼きにすると申しております」

 と答えると、

 「惜しむらくは、
焼けば、いくらにも成りませぬのう、
その大きさでは」

 と信雄が残念がった。

 信長が、

 「たわけ、
一欠片(ひとかけら)にて霊力を頂戴するのだ。
一羽で十分、酒席の誰にも行き渡るであろう。
これは腹を満たすものではない」

 と信雄に注意を与え、説教を垂れた。
 
 信雄は、

 「ははっ、よく覚えておきまする……」

 と萎縮して、一挙に汗を滲ませた。

 仙千代は少し明るい調子で、

 「上様は以前、
召し上がられたことがおありなのですか」

 と尋ねた。

 「今宵が初じゃ。
大勝利の祝宴にふさわしき珍味。
ようやったと源吾に伝え置け」

 「有り難う存じます、
お褒めの御言葉、さぞ喜びましょう」

 ……信長父子が仏法僧を供覧の後、
仙千代が三郎の姿を探すと、
本陣脇の沢に煙が上がり、
香ばしい匂いが漂っていた。
 三郎だった。
 竹串に刺された肉を炙って(あぶって)いた。

 「要るか?これ」

 山椒だった。

 三郎の顔が輝いた。
 葉に顔を寄せ、深く吸い込んだ。

 「ふううむ、素晴らしい香り!
確かに山椒があれば良いと言ったが、
よもや、ほんに手に入るとは。
何処に生えておった?」

 「彼の方(かのかた)がくだされた」

 仙千代が見遣った先に、
豊田藤助秀吉が居た。

 「豊田殿!御無事で!
ようよう、御無事で!」

 三郎は勝丸に、

 「万一にも焦がしてはならぬぞ!」

 と言い付けて、串を渡し、
藤助の前までやって来て、(こうべ)を垂れた。
 勝丸も、鳥を焼く合間に目礼をした。

 「御活躍でございましたね!
此度の御働き、
末代までの御高名でございます!」

 「何を大袈裟な。
地の者です故、
道を知っておっただけにござる」

 三郎は否定の意で幾度も顔を振り、
今一度、頭を下げた。

 「おやめくだされ。
左様な。慣れておりませぬ故」

 ようやく三郎が落ち着いて、

 「山椒は何故に?」

 と訊いた。

 「昨晩、出立前、
希少なる氷砂糖を頂き、
あらためての御礼を兼ねて、
無事の帰還を、
万見様に御挨拶に伺ったところ、
御姿が見えず、
近侍の方にお尋ね申し上げましたら、
本陣裏手の山間で見掛けたと仰いまして、
参りましたら、山椒をお探しだと」

 仙千代が携えていたのは、
柔らかな新芽が緑鮮やかな山椒の枝、
数本だった。

 「豊田殿はこともなげに見付けてしまわれた」

 仙千代が敢えて情けないという表情を作ると、
藤助は破顔一笑、

 「三河吉川の山猿にて、
海育ちだという万見様とは、
目のつけどころが、
ちと、違いまするでのん」

 「ああっ、憎たらしいのん!」

 と仙千代が冗談で、
山椒の枝を藤助の鼻先に振ると、

 「棘がございます故、御勘弁!」

 と笑った。

 三郎は、

 「かたじけない!
昨夜の行軍の先頭をきって酒井様、
金森様を案内し、
鳶ケ巣山(とびがすやま)急襲の立役者となられた、
豊田殿手摘みの香草、
仙鳥に、この上ない仕上げの調味でござる」

 と、仙千代から渡され、押し戴いた。

 三郎の藤助への賛辞は、
仙千代も異論がなく、
しみじみその通りだと感じ入った。

 藤助は黒く日焼けした顔を、
照れて、真っ赤にしていた。


 


 





 

 

 



 
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