第285話 徳政令(1)

文字数 958文字

 天正三年、卯月に入り、
信長の京での滞在が一月(ひとつき)経とうとしていた。

 信長は徳政令を発し、
担当に、京都所司代 村井貞勝、
佐和山城主 丹羽長秀を命じた。

 信長が足利義昭を奉じて入京するまでの間、
京は力を持った主を失って、廃れ(すたれ)ていた。
 御所の塀には穴が空き、
雨漏りしても修繕の費用が無く、
修繕を申し出る者も居ない。
 帝は重要な典礼を行うことが出来ず、
公家公卿もまた然りという有り様だった。

 信長は義昭と共に上洛すると、
足利家の後見となって幕府を再興したのみならず、
内裏の荒廃に直ちに手を付け、
修理は既に完了していた。

 一方、公卿達の手元不如意は相変わらずで、
領地を担保に借金をしたり、
やむなく売却した者も少なくなかった。

 皇室、公家、公卿の救済は、
京の治安維持の一助となって、
結果として信長の名声を押し上げ、
誰が真の実力者であるのかを知らしめることとなる。

 徳政令の交渉は根気の要る仕事で、
仙千代が傍から見てさえ、
神経を大変使うものだった。
 金を貸した富豪や商人達が、
貴族の債務の破棄に応じさせられるということなのだから、
話は容易ではない。
 絡んだ糸を解し、宥め(なだめ)たり賺し(すかし)たり、
時には力をちらつかせ、稀には恫喝もあり、
忍耐と根気の要る任務だった。

 ただ、長秀が、

 「仙千代も同道するか」

 と、声を掛けてくれた時には一も二も無く、

 「はっ!是非、御供させていただきます!」

 と、返事をしていた。

 竹丸は、
先だって摂関家の九条昭実(あきざね)に再嫁した信長の養女、
さこ姫の御殿を新築中の現場へ日々、足を運んで、
(いとま)の無い毎日を送っていた。
 仙千代とて、けして遊んでいるわけではないが、
書状管理や訪問客の取次、接待ばかりで、
相国寺から一歩も出ない日が相当に続いていた。

 長秀の指名で、
久太郎(ひさたろう)秀政と、
仙千代が徳政令の業務遂行に加わることになり、
信長も了承した。

 長秀、秀政、仙千代、
長秀や秀政の配下という一行で、
まず村井貞勝邸へ向かうという時、長秀が、

 「堀久(ほりきゅう)万仙(まんせん)のような者が有り難いのだ」

 と、ふと漏らした。

 「どのような意味で仰るのですか」

 仙千代が訊いた。

 「仙千代も、左様なところは鈍いの」

 長秀は呆れる真似をした。
 
 意を酌んで秀政が代わりに答えた。

 「見目形の良い者が交渉事には向くということだ」

 仙千代が長秀を見ると、笑っていた。





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