第241話 竹の花(2)

文字数 1,911文字

 湯殿でさっぱりした後、
街道整備に奮闘した歴々は、
信長の計らいで用意された宴席に着いた。

 酒をほとんど嗜まない竹丸も、
今夜は少し飲み、顔を赤らめていた。

 信長の命により、宴は仙千代が差配した。
酒、酒肴、食事、どれも大いに喜ばれ、
酒が進んで場が盛り上がってくると、
謡う者、踊る者が出て、
徐々に無礼講の態を為してきた。

 そうなればもう接待もお役御免で、
仙千代は広間を後にした。

 部屋に戻ると、
またも許可なく彦七郎、彦八郎が居て、
兄弟で碁を打っていた。

 「おお、仙千代」

 「おお、仙千代でないわ。
いつも勝手に出入りして」

 「まあまあ、そう怒らんでも。
碁でもやるか?」

 「付き合いたいところだが、
掘様から頼まれた調べ物がある」

 「ふむ、じゃあ、仕方ない。
兄弟でやっておると、
互いの得意手を知り尽くしておって、
どうにも飽きる」

 秀政から言われているのは、
濃尾各地の神社仏閣から過去どれだけの矢銭、
つまり戦の費用を徴収したか、
個別に記録が残る範囲で最大額から最小額まで調べ、
およその平均値を出し、
一覧にしておくことだった。
 このようなことを言い付けられると、

 暖かくなる頃には今年も戦だ、
しかも大きな戦だ、
相手は間違いなく武田、
徳川様の領地を切り取り、
上り調子の武田勝頼だ……

 と筆を走らせながら、胸中に浮かぶ。

 徳川様は殿が渡されたあの黄金を、
どのように使われたのか、
その成果を殿も楽しみにしておられる、
武田との戦には負けられない、
武田を追い込めば閨閥で繋がる本願寺にも、
痛手を負わせられることは必定……

 いつにしか筆が止まり、
愛用の朱赤の螺鈿(らでん)細工の文箱に目が行った。
 けして豊かではない暮らしの中から、
城へ上がる仙千代の為、工面して反物を用意し、
夜鍋で縫ってくれた養母(はは)や姉達の心のこもった着物を
広小路堅三蔵(ひろこうじたてみつくら)が盗もうとして
仙千代、彦七郎、彦八郎から取り上げ、
筋が通らぬと言い張って泣きじゃくった仙千代に、
広小路を処刑した後、信長が、
追放に一役買った手柄だと言い、下賜したものだった。
 その時には彦七郎兄弟も馬を賜り、父、兄に贈った。
そして仙千代は実家が新造された。

 当の最初から仙千代を逃すまいと、
信長が金の籠に仙千代父子を追い込んだことが、
今では分かる。

 おそらく養父(ちち)上はそれを気付いておられた、
なれど、儂の意思を尊重してくださった、
あの時の父上はずいぶん悩ましい御様子で、
儂の性格からして務まるのかどうか、
迷いを見せておられた……

 男子の居ない万見家に養子に入り、
養父母(ふぼ)にも姉達にも大切にされ、
妹も可愛らしく、
仙千代は家での暮らしに不満はなかった。
内弁慶で、いくらか引っ込み思案でもあって、
根は強情ながら、どちらかといえば人の後ろに立つ性格だった。
 それでも岐阜へ行くことを強く願ったのは、
一重に奇妙丸……信忠……との再会を望む熱い心が、
日々、募るばかりだったからだった。

 信長がくれた文箱の中には、
仙千代の顔が描かれている信忠が書き損じた手紙(ふみ)と、
霜焼けで留守居にまわった仙千代に
鷹狩りに行った信忠が拾い集めてきてくれた銀杏(いちょう)の実が
今も眠っている。
 
 いつ捨てよう、
いつなら捨てようと思えるだろう、
今はまだ捨てられない、今はまだ……

 その繰り返しで、十三だった自分が、
十六才を迎えてしまった。
 文箱に目を遣りながら、暫し仙千代は放心した。

 「仙千代、筆が止まっておるぞ」

 彦七郎が揶揄って(からかって)きた。

 「頭の中は巡りに巡っておるのだ、
難しい計算をやっておるのだ」

 「はいはい、仰せの通り」

 仙千代は怒る真似で、
碁盤に並んでいた石を無茶苦茶にした。

 「あああっ!
兄者を追い込む寸前だったのだぞ、仙千代!」

 「うむ、仙千代、ようやった!」

 「兄上、ずるいぞ!」

 「いやいや、儂ではない、仙に言え」

 兄弟のやりとりに、

 「やかましーい!騒ぐなら自分達の部屋へ行け」

 と仙千代が叱ってみせると二人は、

 「すまぬ。儂らも手伝うわ、堀様のお言い付け」

 「そうだな、儂も手伝う。
さっさと済ませて、明日に備えよう、
もう夜も更けてきた」

 と言い、仙千代を手伝う側に回った。
 彦七郎、彦八郎は、体躯に恵まれ、
武に秀でているので、馬廻り衆に付いて、
親衛的な務めの見習いをしているが、
実際はかなりの秀才でもあって、
学力は小姓達の中でも、
常に上から数える方が早い位置に居た。
 もちろん、そうでなければ、
俊英集団である馬廻りの近習達に付いて学ぶなど、
許されはしない。

 兄弟の助けがあって、
秀政からの言い付けを早めに終えられた仙千代は、

 そういえば竹丸、
しきりに足を痒がっておった、
霜焼けが酷そうだった……

 と、気になっていた竹丸の様子を見に行くことにした。












 

 

 


 

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