第9話 三郎の厚意

文字数 2,181文字

 信重は宴を抜け出ると、ひとつ、大きく深呼吸をした。
少し酒を飲んだが、酔うほどではない。

 長月も半ばとなって、涼やかな夜風が虫の声を運ぶ。

 「若殿、若殿」

 今夜は小姓勤めから解放されているはずの三郎が、
何故か公居館の前に提灯を携え、信重を待っていた。

 「休んで良いのだぞ。何をしておる」

 「何も仰らず、付いていらしてください」

 何やら三郎は目が煌めいている。

 「何だ、おかしな奴だな」

 三郎の後を付いてゆくと、小姓の館だった。
信重は中へ入ったことはなく、
近くに来たとしても素通りだった。

 「若殿、あれを」

 館の前に(むしろ)を敷いて小姓達の何人かが、
月を肴に、甘麹酒なのか、飲んでいた。
 その中に知らない顔がひとつ、あった。

 「あっ……」

 信重が思わず小さく声を上げると、三郎が、

 「ねっ!?」

 と喜色を浮かべて信重を見上げた。

 「仙千代と似ていますよね?」

 「あの者は……」

 「はい。清須の甲冑商の息子だそうです」

 清須の玉越という甲冑商は織田家とは古い間柄で、
甲冑製造、修復で名を馳せており、美濃尾張だけでなく、
織田家の同盟、徳川家の本領地である三河まで、
商いを伸ばしていると聞いていた。
 初陣前にも玉越の主人は、
甲冑の調整で何度か岐阜へやって来ていた。
その際、伴っていたのは別の息子で、もっと年嵩だった。

 仙千代と似た面影があることは確かだった。
何処がと言われれば何処とも言えないのだが、
顔の造作の一つ一つは違っているのに、
甘さの中に朴直な雰囲気があって、敢えて言えばそこが似ていた。
 おそらく年齢も似通っている。

 そういえば、宴席に玉越の姿があった……
武具甲冑の修理品を受け取るために今日は(ひる)から待っていて、
こちらの到着が遅れたということで、
父上が厚情で宴に同席させていた……

 とするならば、
年端もいかぬ息子は同じような年齢の小姓達と過ごし、
父親が宴席を下がってくるまで待っているのだと思われた。

 「こちらへ呼びましょう」

 「何故、左様なことを」

 「それは、」

 「仙千代に似ているからと何なのだ」

 信重の誰にも触れさせはしない、最も大切な心の奥に、
他人が入り込んでくることは許せなかった。
 一甲冑商の息子が仙千代と似ているからという理由で
呼び出されていては堪らないと、信重は機嫌の悪さを隠さなかった。

 「若殿、帰られるのですか」

 「何の用もない。仙千、……万見と似ているとして、
だから何なのだ。時の無駄だ」

 三郎が食い下がってきた。

 「お待ちくださいませ!」

 呼び止められ、三郎に背を向けたまま、立ち止まった。

 「若殿は仙千代の御役目が変わって以降、
前のように無口になって、
明るい御顔をお見せになることが減ってしまわれた」

 三郎が涙ぐんでいる。

 「初陣ともなれば気の持ちようも変わる。それだけだ」

 「御立場、お察し致します。
なれど、若殿と仙千代の間には、
特別に慕い合う御心があったのではありませんか?」

 三郎は呑気で、
腹を満たすことばかりに余念がないと思っていたら、
信重をよく見ていたことに今更ながら驚く。
 誰もが信重と仙千代は親しいと見ていたはずだが、
特別に慕い合うという三郎の言い方は、
今ではすべて見通しているということだった。

 しかし、信重は認めなかった。
今では最側近になりつつある三郎が相手であっても、
仙千代への思いを漏らすことを、信重は避けた。

 「前にも言った。万見とは何でもない。
今では万見は殿の小姓。儂のところに居たのは一時じゃ」

 「私はあの者が少しでも若殿の慰みになればと思い、それで、」

 「慰みにはならぬ。慰みは要らぬ。
儂には松姫が居る。
また、いずれ、誰ぞ小姓を褥に上げるにせよ、
何も万見と似ている必要はない。節介を焼くな」

 「若殿、若殿!」

 三郎の厚意は有り難かった。
信重を思い遣る心根は褒めるべきことですらあった。

 しかし信重は三郎を拒み、振り返らずに天守へ急いだ。

 天守では鷺山殿はじめ、側室方に挨拶をして、
大いに労われ、信重も礼を尽くして返答し、自室へ入った。

 襖を閉め、一人になると、
しばらくじっと碁盤を見詰めた。
 仙千代と向かい合いになって碁を打っていた日々が思い出される。
碁盤を見ると、
盤を挟んで互いの存在を甘美に意識していた二人の姿がそこにある。

 仙千代……

 またしても涙が流れた。
確かに甲冑商の息子は、ふとした時、仙千代の面影があった。
似ているということは仙千代ではないということだった。

 傍に居てほしい、仙千代に……
 仙千代と話をしたい……
 声を聴きたい、儂の為にだけ発する声を……
 そして儂だけを見てほしい、二人になって……

 酒肴を供し、酒を注いでまわる仙千代は、
いつの間に身に着けたものか佇まいが端正だった。
同時に数えの十三という年齢に相応のあどけなさを湛えてもいて、
時にふっと本来の素朴さが漂うと、
それがまた仙千代を清らかに引き立てていた。

 仙千代が好きだ、仙千代でなければ……
 仙千代が欲しい、仙千代だけを欲しい……

 ひとしきり嗚咽したあと、信重は手当たり次第、
冊子も(ざぶとん)も壁に投げ付け、
立ち上がると碁盤を蹴った。
 蛤と那智黒の碁石が乱れ散る。

 音を聞き付けた不寝番の小姓が廊下から、

 「若殿、どうかなされましたか!」

 と響いたが、

 「うるさい!儂に構うな!」

 と怒鳴ると、寝所へ移り、ふたたび泣いた。

 

 

 

 



 


 

 

 



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み