第367話 志多羅での軍議(1)康政の深切

文字数 1,162文字

 十八日、
極楽寺山に陣を敷いた信長は、
当日も翌日も、
じっとしていることはなく、
武田軍を迎え撃つ為の備えを駆け巡り、
その姿は生気に満ちていた。

 十九日も信長は、
朝一番から繰り出して防備を確かめた。
 そもそも声の大きな信長は、
飲酒を慎む生活を若い頃から続けているせいで、
声質に濁りがなく、
その発令は野外でもよく通り、響いた。
 沢であろうが、沼地であろうが、
構わず分け入って、
どうかすると下馬をして、
作事の奉行に直接指導し、指示を与えた。
 信長は闊達に動いていたが、
付いて回る警護の馬廻りや近習が、
ややもすれば音を上げたくなる程に動き回って、
仙千代は、

 これが上様なのだ……
万の大軍を率いる総大将で、
ここまで機動を惜しまぬ武将はまず居ない……

 と、信長の為に忙しく立ち働きながら、
敬う気持ちを深めた。

 しかも信長は、
このような時の軽やかな立ち居振る舞いで、
威厳を失うどころか、
いっそう畏敬を集めた。
 末端の足軽であろうが、
名もない雑兵であろうが、
働きぶりの良い者が目に留まれば、
胸に浮かんだままに褒め、激励した。
 これまでの偉業、性格の強さから信長は、
恐怖畏怖の対象として連想されがちだが、
けして気難しくはなく、
仙千代から見て、
本質はむしろ真っ直ぐな人物だった。

 雨は日々降り続き、
時に曇天となるが、多くは小雨模様で、
地は浸潤していた。
 所々の泥濘(ぬかるみ)は足を取られることもある程に、
泥田のようになっていた。

 穴を掘り、塁を盛り、杭を打ち、
誰もが土、泥まみれになって陣城を築き、
その中で、
志多羅の郷を盛んに動いた信長一行も、
結構な濡れ鼠、泥かぶりだった。
 信長は明らかに高揚していたが、
浮かれ燥いで(はしゃいで)いるのではなく、
当然ながら戦に向かって芯は一貫していた。
 上意下達するばかりではなく、
気骨のある将や現地の兵が、

 「畏れながら……」

 と意を唱えれば耳を傾け、
有意であると認めれば、
直ちに取り入れ、従った。

 二十日、陽が西に傾きかけた頃には、
野戦城はおよそ完成していた。
 丹羽長秀、滝川一益、羽柴秀吉の部隊は、
有海原(あるみはら)で東向きに布陣して、
連日、武田勢を引き付けつつも、
積極的に攻めることはせず、
士気が低いとさえ映る動きに終始していた。

 この日、夕刻、
織田、徳川の諸将が集まり、軍議が行われた。

 三十路が近い、働き盛りの榊原康政の、

 「武田の七つの攻撃隊は長篠城を封鎖して、
川を挟んで厳しい包囲を続けております。
瓢丸(ふくべまる)の焼失により、
兵糧を失って、はや六日。
今日明日、いや、今の今、
落城したとて不思議ではない危機的情況につき、
長篠の一刻も早い救出が急がれます」

 という強い口調の訴えは、
空腹に喘ぎながらも士気を保って立て籠る城兵と、
(つま)おふう、弟の千丸を、
失わざるを得なかった奥平貞昌への深切(しんせつ)が滲み出ていると、
仙千代は感受していた。

 

 



 
 



 

 

 

 



 
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