第338話 帰還の夜(3)

文字数 1,685文字

 仙千代は、
胃の腑にろくに咀嚼せず嚥下した飯粒がどしっと構え、
苦しかったが、それは顏に出さない。
 ただ胸中では、

 儂とて早飯に慣れて、
今では中々のもののはず、
それを彦七郎め、
やたら馬鹿早く食い終えて……
まるで儂が薄鈍(うすのろ)のようではないか……

 と、恨んでみせた。

 仙千代は信長を向き、述べた。

 「橋本様は怜明な御方です故、
無知無謀から発した私の言葉を真摯にとらえ、
橋本様御自身の裁量で、
そのような変更が可能であるとして、
納入日の変更を了承下さったのだと推測致します。
橋本様の御性分からして、
月半ば、つまり三河遠征までに、
鉄砲三百挺を織田軍に運び込むことは、
まず間違いないと思われます」

 橋本道一は国友善兵衛とは、
橋本家前当主である父 一巴(いっぱ)の代からの仲だった。
火縄銃が「種子島」と呼ばれていたような時代、
鉄砲に強く興味を示した十代半ばの信長が一巴を召し抱えると、
信長は一巴を通し、
初の取引で六勺玉鉄砲を大量に注文し、
以後も絶え間なく発注を続け、
祖父、父が飛躍的に増大させた織田家の財力をもってして、
善兵衛を支え、
国友村を鉄砲の一大生産地とするのに助力した。

 今回、道一と善兵衛の間では、
改良の末、量産型鉄砲の開発に成功し、
当初受けていた二百を百も上回り三百挺製造しようとも、
かねての取り決め通り、
水無月初旬に織田軍に持ち込むという、
大いなる手柄話であったのを、
仙千代は尚も半月早く納められぬかと促したのだった。

 「それは上様の御意向か」

 温和な空気をすっと変え、
道一の面立ちに険しさが浮かんだ。
本来、晴れがましかったはずの話が、
突然想定外に無理を強いられたのだから、
不快な思いを抱いて当然だった。

 仙千代は平素通りの佇まい、表情のまま、
静かに座していた。

 「何事であれ確実に可能であるのなら、
その少し先も可能ではないかとお考えになられるのが、
上様かと存じます」

 一瞬間を置き、仙千代をじいっと見詰め、
やがて道一は、

 「相分かり申した。
この後、直ちに使いを近江へ遣りましょう。
ここは善兵衛に一世一代の奮起を頼むと致します」

 と、口をぐっと引き締め、厳かに受けた。

 そのやり取りの後、
そもそも中食(なかじき)の予定など無かったはずであるのに、
道一は遠慮する仙千代達に昼を馳走した。
 川魚や沢蟹といった心尽くしの料理を供され、
有り難く頂戴する間には、
前田利家が織田家を放逐されていた時期の苦労や、
信長と利家の契りの深さを道一は語り、
仙千代を強く励ました。

 敬う道一に、
使者としての務めから厳しく出た仙千代は、
信長に対しては、道一を立てた。
 道一は経験豊富な武人であって、
何の戦績も無い若輩の自分は本来、身を低くし、
慎ましくあることが礼節だと思われた。

 信長は、

 「仙千代とて、
およそ不可能であるのなら、
伊賀守に無理難題を突き付けることはないであろう」

 と、やはり勘の鋭さを見せた。

 「百挺余分の増産は大仕事でございます。
さりとて、部品数、工程が減り、
既に銃身は用意があって、
資金も潤沢に前渡しされておるのですから、
人を増やし、
日の沈んだ後も組み立てさせれば良いのではないかと。
戦に夜戦があるように、
鉄砲製造も夜を徹してやってやれぬことはなし、
鍜治場の苦労の実態を知りませぬ故に、
浅墓にも申してみたまで。
実現なれば、すべて橋本様の御手柄でございます」

 「仙千代!」

 「はっ」

 何やら感極まったらしく、
半身を前のめりに勢いよく名を呼ばれ、
何事かと思いつつ信長を仰いだが、
相手は急にハッと気付いたように雰囲気を変え、
態勢を戻すと、わざとらしい咳払いをした。

 「うっ、うん!」

 勝九郎が、

 「上様、どうぞ」

 湯呑を差し出した。
 
 信長は湯を飲むと、

 「うむ。伊賀守の手柄。まさしくそうだ。
あの者は目端がきく上、二言のない男。
儂は若い頃から共に鉄砲を習い、
性格をよう知っておる。
伊賀守が早く納めると申したのなら、
必ずそれは守られる。
いや、実に気分が良い。
武田は侮れぬ強敵ではあるが、
昨年の長島一向一揆制圧、先だっての三好討伐、
これらに続く完勝を目指し、前に進むのみである」

 と、芝居がかって取って付けた。


 
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