第394話 志多羅の戦い(13)突破口

文字数 1,275文字

 徳川陣の正面突破に成功し、
第二柵まで山県(やまがた)昌景が切り込んだと見るや、
中央を任されていた内藤昌豊も呼応し、
柵内で乱戦に持ち込んで、
家康、信康父子を撃破しようと、
二隊が尚も先へ決死の突進を試みていた。

 「銃弾の雨の中を、よくぞ……」

 河尻秀隆が口を歪めた。

 敵軍は味方の五倍とも十倍とも言われ、
圧倒的に不利な手勢、
装備だった桶狭間の信長は、
ひたすらに今川義元の首級のみを求め、
他に一切目をくれなかった。
 同列に語ることはできないが、
万一にも家康の首が取られたならば、
徳川兵に混乱を呼び、
連合軍の陣形は崩れ、
武田に勝機を与えぬとも限らない。

 家康の金扇の馬印が、
右往左往と揺れていた。
 父を護らんと、
嫡子 信康が必死の働きを見せていることが、
指物の激しい動きで伝わってくる。
 
 と、家康父子のもとに、
一気に寄り集まったのが、
立ち葵と源氏車の旗を指す軍勢だった。
 立ち葵は本多忠勝、
源氏車は榊原康政で、
二将は、互いに功を競い合うかのように、
武田勢に立ちはだかった。

 「浜松殿は三方ヶ原で酷い目に遭って、
命からがらの撤退戦だったと聞き及びます、
今も三方ヶ原と同じように、
武田の軍団が押し迫り、
如何なる寒心を覚えておられることか。
往時の再現にならねば良いと、
ただ、ひたすら……」

 と信雄(のぶかつ)は、
浮かんだ思いを隠すことなく口にする。
 ここに居るのは信忠、信雄、秀隆、
そして、近侍や馬廻り衆のみ、
要はごく近い身内ばかりとはいえ、
将の発する一言は重く、
また古来、
「言霊」は大切なものとされ、
戦ではとりわけ、(げん)を担いだ。
 それを信雄は、
家康の最悪の戦歴を今この時に持ち出して、
口の端に上げる。

 信忠は重々しく告げた。

 「三方ヶ原の記憶も新しいこの志多羅で、
無兜の戦いを決意された浜松殿。
何ものも恐れておられぬはずだ」

 ただ、敗北以外は……

 とも、信忠は胸の中で足した。

 「あっ……はっ!」

 軽々な振舞が途切れぬ信雄だが、
叱られれば直ぐに己の未熟さに気付き、
反省をする。
 そこは憎めないのだが、
時と場所によっては命取りになる。

 蛙は口から呑まれると教えたに、
何度呑まれれば済むのだ、
戦乱の世で、
我らとて明日の命も知れぬのに……

 徳川の守りに間隙をついてみせた山県に、
中央の内藤が合流したことで、
勝頼本陣の前面に布陣していた内藤の後を埋めるべく、
昌胤(まさたね)、小幡信貞、
和田、安中、五味といった諸隊が攻め出た。
 
 山形や内藤が、
圧倒的な兵数、物量を誇る連合軍の攻撃を凌ぎ、
徳川陣の内まで攻め込んだということは、
既に二人の周りは寡兵の状態であると、
意味してもいた。
 大将を守り、打ち入らせる為に、
多くの兵が盾となり、命を捨てた。
 そこへ徳川一の勇者、本多忠勝と、
家康に幼少時から仕えた忠孝無比の榊原康政が、
襲い掛かっている。

 だが、連合軍の左翼に目を転じると、
武田三代に仕える鬼武者、馬場信春が、
信玄の異母弟(おとうと) 一条信龍や、
真田兄弟、土屋昌次と力を合わせ、
佐久間隊の防備を切り崩していた。

 茶臼山本陣から、
信長の火急の陣触れを伝えるべく、
馬廻り達の駿馬が次々に駆け出していった。


 





 
 


 

 
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