第371話 志多羅での軍議(5)忠世と忠佐

文字数 855文字

 織田徳川連合軍は、
志多羅で、いざ兵刃(へいじん)を交えるのなら、
突進してくる敵を、
左右にせり出す翼で包囲する戦術、
鶴翼(かくよく)の陣で迎え撃つことを決定していた。
 
 山際に近い北翼は佐久間信盛、
佐々成政、滝川一益、福富秀勝ら、
織田軍が布陣し、
湿地となっているもう一方、
つまり南を、
酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、
大久保忠世が締め、
その内側に徳川家康、松平信康ら、
三河の中枢が配されていた。
 これは徳川軍の大将である家康さえも、
先陣を務めるという覚悟が表れた陣形だった。
 信長は中央奥に陣取って、
(ばん)直政、前田利家、丹羽長秀、
羽柴秀吉、柴田勝家らが前方を厚く防備し、
背後は、
信忠、信雄(のぶかつ)を擁した河尻秀隆が護った。

 「畏れながら!」

 松平家に譜代で仕える大久保忠世だった。

 「我が部隊、有海原(あるみはら)に進出し、
先兵を務めさせていただきたく存じます!
何卒、御下命を!」

 すると、
実弟の大久保忠佐(ただすけ)も乗じ、

 「我ら兄弟、
鶴翼が武田を包み、逃れられぬよう、
引き付け切って見せまする!」

 と、壮年の歴戦の武将二人が、
ぐいっと身を乗り出した。

 長篠の吉川郷に代々在した、
豊田藤助の到着を待つ信長が、
痺れを切らし、
不機嫌を隠さず黙した様を見た大久保兄弟は、
唐突な名乗りをもってして、
信長の尚の一喝覚悟で、
場の佇まいを変えようとしたものに違いなかった。

 信長は興味を示さなかった。
 先兵、先鋒を拝命することは、
危険は大きいが、
成功すれば大手柄となる軍行で、
戦の際はほぼ常に誰かが望んだ。

 お怒りを露わにされるも飽いたということか……
元々、真からのお怒りではない……
ただ早く、豊田なる者に尋ねをしたい、
談義を前に進めたいという一心で、
おられるだけなのだ……

 信長の汗が引き始めた。
仙千代は、扇いでいた風を弱めた。
 
 茶臼山本陣は簡素ながら、
木造のしっかりした建付けで、
雨が入ることはなかった。
 しかし雷鳴が轟いて大音で落ちた時、
非常な振動で、
すわ、地震かと思われる程に柱、床に響いた。

 信長はじめ誰一人、
身動きする者は居らず、
仙千代の扇だけ、緩やかに揺らめていた。


 
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