第115話 小木江城 秋茜

文字数 1,778文字

 首級実検の後に小木江城へ着いた三郎と清三郎は、
首桶を受け取ると、一瞬臭いに顔をしかめたが、
そのような顏をしたことを恥じたものか、
二人共、直ぐに神妙な面立ちになり、

 「承った。二間の城で副将様に確とお渡し申す」

 と三郎が言った。

 この時、雨が降り始め、雷も鳴ったので、
二人をはじめ、馬廻り衆や小者(こもの)達など、
信忠の使いの一行は出立を遅らせた。

 定期便でもないが、戦況、策戦、政務などについて、
信長と信忠は使者を送り合い、緊密に連絡を取り合っていた。
 信長には尾張、美濃の(まつりごと)に加え、
天下の儀もあって、
各地から届けられる書状は、
岐阜に居るときと量が変わらなかった。
仙千代や竹丸は、主に秀政に付いて、
それらの捌き(さばき)方や管理を学び、補助をした。

 各方面からの訴えや報せに迅速的確に返答することは、
側近でなければ不可能だった。
万事の判断を主に仰げば主を煩わせることになる。
歴史、血縁、地縁、因縁、組織、戦時的状況、
果ては相手に対する主の好悪感情に至るまで、
正確に把握していなければ書状管理も取次も出来はしない。
 秀政も先達から教授され、
今は仙千代や竹丸に教える側になっていた。

 梅雨空の下、
大輪の蓮の花が咲く頃やって来たこの地に、
今は秋茜(あきあかね)の群舞が見受けられるようになっていた。
 秋茜は俗称で赤蜻蛉(あかとんぼ)と言われるが、
よく見ると濃い(だいだい)で、柿の色にも似て、
いかにも秋の訪れを予感させた。

 先ほど、清三郎と共に首級を恭しく受けた三郎が、
小者(こもの)に、
それらを礼を尽くして二間城まで運ぶよう指示すると、
小者達は三郎の命に従い、準備を始めた。

 「長島でも雨が降っておるのであろうな。
籠城の者どもに、恵みの雨か」

 と、竹丸が誰にでもなく言った。

 戦地で水は貴重だった。
土地が変われば水も変わり、それだけで腹を下す者が居る。
飲用に適した水を得ることは難しく、
安全な井戸の確保は重要な命題だった。
足軽達は川の水を煮沸させて飲むか、
一か八か川水を生で飲む。
雨が降れば、それこそ恵みとなった。

 運良く小木江城の井戸は、
すべて安全な状態で使用可能であった為、
この時期、冷たい水を飲むことができ、
兵達にも多くの井戸が解放されていた。

 海浜部にある二間城の井戸水は、
微かに塩分を含んでいると三郎は言い、清三郎共々、
小木江城の水は美味い、甘いと何杯も飲み、
馬廻り衆や小者達も瓢箪や竹筒に満々と水を汲んでいた。

 「ああ、冷たい水は馳走じゃなあ。まさに甘露。
この水で瓜や茄子を冷やして食せば美味いであろうなあ」

 相変わらず食いしん坊の三郎だったが、
今では背が伸び、身体が締まった上に、
本来の整った容貌が表となって、
明朗な瞳がきらきらしている様は、とりわけ個性的だった。

 「三郎の父君は柴田様の隊に組み込まれ、
滝川様の城、矢田城に詰めておられるとか」

 やはり水を飲みつつ、竹丸が尋ねた。

 「うむ。同じ長島に居っても一度と会うことがない。
いや、既に一年以上会っておらん。
可笑しなもので、若殿の隊に入っておられる竹の父君や、
二間城で務めておられる仙の父君には、
どうかすれば、日に何度もお会いするのにな」

 三郎が快活に笑った。
言われてみれば仙千代も、
養父母(ふぼ)や姉妹にもう長らく会っていない。
それでも三郎同様、実家は岐阜から遠くなく、
いつでも会えるという意識がある上、
この二年間は遠征続きで、時の流れが早かった。

 そういえば、竹丸も三郎も数えの十六……
来年あたり、元服か……

 と、仙千代は二人を見た。

 やがて、雨はほぼ上がり、
秋茜が夏の終わりを惜しむように飛び交っている。

 一匹が三郎の鼻の頭に止まった。

 「三郎の鼻はよほど美味いらしい」

 竹丸が揶揄った(からかった)

 三郎は大袈裟に振り払った。
 
 「その鼻、儂も味見してみよう!」

 仙千代が三郎の鼻先を齧る真似をして顔を寄せると、
逆に三郎が仙千代の鼻をつまんだ。

 「食い物じゃにゃあわ、儂の鼻!」

 三郎から尾張弁が出た。

 「仙の方がコリコリとして美味いに決まっとる、
鼻先がつんとして」

 「おお、じゃあ、食ってみい、食え食え!」

 仙千代が鼻を向けると三郎が本当に齧った。

 「痛っ!本当に食う奴がおるか!」

 「ここにおる!」

 ふざけながらも、

 全員で岐阜へ帰ることができればいいな、
誰一人欠けることなく、全員で……

 と仙千代は願った。
小姓達も馬廻り衆も皆が、同じ思いでいるに違いなかった。

 

 

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み