第86話 猶子

文字数 1,229文字

 長島出立まで、あと数日という慌ただしい中、
清三郎を町衆から武家へと移行する手続きが無事に済み、
信忠は一区切りついたと安堵した。

 これで清三郎の身分に保証がなった……

 仮親は織田家に代々仕える忠臣で、
清三郎が清須の出ということで尾張衆から選ばれた。

 清三郎の父親も清三郎も、大いなる喜色が浮かんでいた。

 たとえ総軍の副将に付いている小姓とはいえ、
戦場(いくさば)では何が起こるか分からない。
織田と今川が争った桶狭間の合戦が良い例で、
五倍という圧倒的な兵力差がありながら、
大大名の今川に尾張の弱小大名が勝利を収め、
織田家はそこから一躍、戦国の世の中心へと躍進を遂げた。
逆もまた、起こり得るのだった。

 猶子の縁組の書状は祐筆が書き、
関係の者が一堂に会する中、
祐筆の手伝いをしていた仙千代もそこに居た。

 仙千代の表情に変わったところはなく、
淡々としていた。
 信忠が清三郎をいかに重く扱おうが、
仙千代は動揺を見せることがなく、
信忠を安心させると同時、一抹の寂しさも与えた。

 もう儂を忘れたか……
それならそれで致し方無し……
今や仙千代は、他に肩を並べる者がない、
殿のいちばんの寵児……
この後、どれほど出世を遂げるのか……
それこそ、儂が望んだ道ではないか……

 仙千代と清三郎は目線が合うと何やらにっこり笑い合い、

 いつの間に、親しくなったものやら……

 と信忠は、そこでも寂しさを覚えた。
一時の仙千代は明らかに、
清三郎や勝丸を疎む態度を見せていた。

 仙千代が儂を忘れるのなら、儂もそうしなければ……
それが仙千代の為になる……

 夜の褥で、清三郎は激しく信忠を求め、
信忠も清三郎に応じた。

 「若殿!お慕いしております!若殿!」

 褥から食み出て(はみでて)しまう勢いで清三郎が乱れ、
信忠のあちらこちらに口づけを浴びせる。

 「どうかしたのか、今宵は。何やら、凄まじく」

 ようやく合間を見付けた信忠が顔を覗き込み、尋ねると、

 「お慕いしているのです、心から」

 と真顔で告げた。

 その言葉、確か、津島の朝に、同じように仙千代も、
寝惚けながら言っていた……

 甘酸っぱくも、せつない思いが信忠を満たす。

 目の前に居るのは仙千代ではなく、清三郎だった。

 「お慕いしても……構いませぬか?」

 信忠の顔色を窺うように控え目に告げた。

 「慕われなければ悲しく思う」

 「若殿も少しは私を……」

 「少しばかりなら町衆の子を城に上げたりはせぬ」

 「嬉しゅうございます!」

 「我が家臣にしたからには生涯の仲じゃ」

 「若殿!お尽くし申し上げます!心から……」

 口づけを浴びせかけてくる清三郎が愛しかった。
この後、信忠の転戦に伴い、清三郎は何処へでも伴われ、
いずれ元服すれば信忠が妻を決め、
その子が男子であれば織田家に仕え、
女子であるなら織田家ゆかりの武将に嫁ぐ。

 心から清三郎を大切に思うと同時、
一方で、仙千代を忘れなければ、
もう忘れても良いのだ、仙千代の態度からしても、
仙千代が信忠を忘れつつあると、信忠は考えるようにした。



 





 
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