第130話 小木江城 御寝所(4)

文字数 1,623文字

 「万見様」

 竹丸が養父に話し掛けた。

 「うむ……」

 「総大将様はあのような御人柄ゆえ、
仙千代を家に連れ帰るなど、
仰らない方が宜しいかと。仙千代の為にも」

 「仙千代の為にも……」

 「左様でございます。
ここに居れば薬は常に潤沢にあり、医師が侍り、
容態を診ております。足りぬものはございません」

 「それは分かっておる。なれど……」

 竹丸が一呼吸置き、決したように語った。

 「御寵愛が深いのです、仙千代は。
その上に、総大将様が仰せのとおり、
此度の手柄はまさに戦の勝敗を分けたとも言えるもの。
怪我を負った忠臣を実家へ帰したとなれば、
それこそ不名誉。
万見様の御気持ちも察せられますが、
ここは何とぞ、
総大将様の御厚情をお汲み置きくださいますよう、
お願い申し上げます」

 養父はしばしの無言の後、

 「あい分かり申した」

 竹丸の声が弾んだ。

 「ありがとう存じます!」

 信長の機嫌を損ねず済んだ安堵が伝わる。
それは、同じ小姓仲間として、仙千代にも分かる。

 「確かに、鯏浦(うぐいうら)までの道中も、
怪我を負った身には厳しいものがある。
まして、今般のように、
城内にまで敵の間者が忍び込む戦況。
戸板に乗せられて家に向かうのも安全とは言い切れぬ」

 「はい。仰せのとおりにございます」

 「ただ……」

 養父は何事か、まだ言い足らぬようではあった。
が、そこで気配を変え、竹丸に言った。

 「竹丸殿、大人になられましたな」

 「はい?」

 「我が家で夏を過ごされた時は、お子様であられた。
それが、今では……」

 「あれから四年以上経ちました。
四年といえば、生まれた赤子も走り、物を申します」

 「確かに。
今回、竹丸殿が付いていてくださるかと思うと、
安心して二間城へ戻ることが出来申す」

 「戻られるのですか」

 「私では庇護者に成り得ぬと身に染みた次第。
いつまでも子を親のものだと思っていてはいけませぬな。
すべて総大将様の思し召し。
私が何を言うことも、もう、ございませぬ」

 養父の手が、仙千代の手を握った。
仙千代も、握り返した。

 「仙千代。無理だけはするな。
それだけが願いだ、この父の……」

 「父……上……」

 愛慕を返そうと、力を振り絞り、言葉を紡ぐ。

 「いざとなれば読み書きを教えてでも何としても、
生きてはいかれる。命を大切に使え。
仙が何処に居っても、それだけが父の願いだ……」

 家名存続の為、養子に入った仙千代だった。
また、武家に於いて家名は、
命に匹敵する大切なものだとされていた。
 しかし養父が仙千代に望むのは、常に命が第一だった。

 彦七郎、彦八郎の父親は、

 「石にかじりついても帰ってくるな」

 と、檄を飛ばし、二人の息子を岐阜へ送り出した。
万見の養父は「無理をするな」で一貫していた。

 「父上……」

 「仙……何も言わずとも良い」

 「私は父上の子……母上の子……
これしきの怪我、何ほどのものでもありませぬ。
父上こそ、どうぞ、御身大切に、脚を御大切に……」

 父子で手を握り合っていると、
竹丸の鼻水をすすりあげる音がした。

 やがて、ドタドタと大きな足音がした。
 
 信長が戻った。

 「例の樋口直房が首級、無事に願証寺へ届けられた由。
副将の小姓達もたいしたもの。
襲われながらも、首級は二間城へ持ち帰り、
副将が検分の上、本日、相手方に渡し終えた。
それにつけても、仙が城郭内で襲われた同日、同時刻に、
副将の配下の者達も奇襲を謀られるとは。
一揆衆は最後の最後まで、けして侮れぬとこれで分かった。
あ奴らは、髪ひとすじ、爪のひとつも残さずに、
地獄へ送ってやらねばならぬ」

 熱冷ましだとして飲まされた薬湯がまた効いてきたものか、
信長の声を聴きながら、疑問が山のように襲っても、
尋ね返すだけの気力も何も仙千代は失っていた。
薬湯には睡眠を促す作用があった。

 副将様の小姓達が襲われた?奇襲を謀られ?
何なのだ、それは何なのだ……

 しかし仙千代は睡魔に負けて、痛みと悪寒を伴に、
今日何度めかの眠りの世界へ落ちていった。


 











 

 



 

 


 
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