第236話 仇敵との再会(1)

文字数 1,658文字

 竹丸が熱田へ出立して数日後、
岐阜の空は間断なく灰色の雲に覆われて雪がちらつき、
伊吹おろしが強かった。

 岐阜城 謁見の間。
 
 長島での戦で、
織田軍の本陣だった小木江(こきえ)城へ
降伏を告げる使者として訪れた大木兼能(かねよし)が、
今、信長父子に拝謁を許され、
戦死した織田家の連枝衆や忠臣に対する弔いの言葉を述べていた。

 仙千代は池田恒興の嫡男、勝九郎と共に、
信長に侍り、今日は太刀持ちを務めていた。
 小姓として先達である竹丸が、
いつもはその役目をしていたが、
街道整備で留守をしているので、
このような形となった。
 信忠の小姓達は上段奥の控えの間に侍している。

 信長は重々しい面持ちで耳を傾けていた。
信忠も表情は引き締まっていた。

 「詫びの言葉は無いのか」

 信長の声質は明快で、
凍てつく冬の冷え冷えとした空間によく通った。

 日根野弘就(ひねのひろなり)は、
弘就からの申し出の仕官だったが、
兼能は弘就を赦すと決めたと同時、
信長の側から召し寄せたという経緯があった。

 真夏の炎天下、
二ヶ月以上もの間、兵糧攻めに遭い、
敗戦の将として小木江城に姿を見せた兼能は、
従者共々、痩せさらばえて、
甲冑と身体の大きさが釣り合いを失っていた。
 あれから四ヶ月は経っているのに、
未だ、元の体躯に戻っていないのか、
華奢とは言わないが、
兼能はずいぶん細身に思われた。

 日根野殿は御正室が織田家の重臣、
金森可近(ありちか)様の叔母君にて、
御縁戚衆の影日向の援助が、
おありになられたのやもしれぬ、
顔色、恰幅、けしてお悪くはないご様子であった、
なれどこの大木殿は枯れ枝にも等しい窶れ(やつれ)ぶり……

 敗残の将は身を隠すにも苦労が多く、
行き場を失い、野山で野垂れ死にする者さえ居る。
 足軽や農兵は身の処し方も自在であって、
村や実家に身を寄せれば糊口をしのぐことは易い。
 兼能のように有力縁者の居ない武将は、
落ちのびて次の仕官が見付かれば良いが、
落ち武者狩りに遭ったり、
または飢えて死ぬことすら、当たり前に有り得た。

 兼能は身を斜めに黙して頭を垂れ、
床に押し付けられた拳は色を変えるほど、
固く握り締められていた。
 こめかみには青筋が浮かび、怒張している。

 小木江城で終戦の話し合いが行われた際、
一揆勢の老若男女は当然のこと、
指揮官である下間頼旦(しもつまらいたん)はじめ、
武将達も命を断つには及ばぬと約束されたことで、
兼能は感涙し、謝辞の声が震えていた。

 その約定をあっさり破り、
頼旦以下、
二万、三万という門徒を殺戮したのは信長だった。

 兼能は仕官を前提に呼ばれたことは明白なのだから、
信長に一族、喪った家臣への弔意を表し、
また敗軍の将として戦火を交え、
織田軍に多大な被害を与えたことを詫びるのではないかと思われた。

 「何を黙っておる」

 「申し上げます!
本日は、腹を掻っ捌く(かっさばく)覚悟にて、
参上致した次第でございます」

 信長の眼が光った。

 「ほう、腹を切ると。何ゆえか」

 兼能は信忠よりも幾らか年長の若者で、
武勇、文事に優れていることから、
頼旦が召し抱えたという若武者だった。

 「私事ながら、先の長島は、
我が生涯初の大将戦でありました。
拙く、負け戦と相成りましたが、
小木江の城で門徒衆全員助命するという言葉を頂き、
長島城へ伝え、一同、心から喜び、
感謝の上にも感謝して、
摂津への旅路に就こうとしておりました」

 「左様なことは知っておる、
一切合切、儂が命じたことだ」

 城に姿を見せた兼能は、
おそらく縁者か、従者を二人連れてはいたが、
馬は無く、徒歩だった。
 三人共に頬も眼も窪み、
肌や髪も艶を失っていた。

 小木江で殿が一向門徒に赦免の御心を示された時、
大木殿は涙を流されていた……
しかし殿は、
それでは済まさぬという御決心を変えられず、
門徒をことごとく、成敗された……
日根野殿と違い、大木殿は若い……
殿の為さり様(なさりよう)を未だ、
許し難く思っておられるのだ……
 
 仙千代は、厳しい空気に身を置いて、
太刀を預かっている。
 この太刀を信長が鞘から抜くのか抜かぬのか、
一瞬を見極めて主の手に渡さなければならない。
 ひりひりした応酬に、仙千代の背筋に汗が流れた。

 



 





 

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み