第361話 野田原(3)河尻秀隆

文字数 1,400文字

 長大な陣城を目の当たりにし、圧倒されるのは、
武田のみならず、
徳川もまた同様なのだと信長は言った。

 「長篠の行く末は誰にも分らぬ。
どうなったとて、
三河が尾張の東方の盾であることに変わりはない。
盾は織田が支え、
両家は変わりなく在らねばならぬ。
陣城は、
織田と徳川の紐帯(ちゅうたい)なのだ」

 上様は長篠、志多羅の先の先まで、
見据えておられる……

 二人になれば、
父子程も齢の違う仙千代のもとに降りてきて、
同等に接し、
純な振舞を隠しもしない信長だが、
このような時、
崇敬、畏敬の念が高まって、
この主に仕える僥倖に見舞えた自分は幸運、
強運なのだと思わないではいられなかった。

 やがて、信長に呼ばれ、
信忠、二男の信雄(のぶかつ)
宿老 河尻秀隆が姿を見せた。
 
 秀隆は信長の父 信秀に若くして仕え、
三河 小豆坂での十六歳の初陣で、
今川を相手に足軽大将を討ち取る武功を上げると、
以後も着実に戦績を重ねていった。
 信秀没後は、
信長が実弟の信行と家督を巡って争った際に、
柴田勝家の密告で、
信行の再度の謀反を知った信長が信行謀殺を決断すると、
実行役を担い、責を果たした。
 
 秀隆は信長より七つばかり年嵩で、
若い頃は信長の馬廻り筆頭を務めていた。
 信長の寵愛が深い丹羽長秀が弟のようなものなら、
秀隆は信長に兄のように慕われていて、
長秀と組んで働くことが多く、
二人は信長の最も古い腹心だった。
 
 信長は、
長島一向一揆制圧で岐阜を離れていた時は、
武田の攻勢に備え、
美濃の鶴ヶ城を警護していた秀隆の健康を案じたり、
長島での砦の構築の見事さを、
秀隆に見せたいものだと書き送り、
特別な気遣いを見せた。

 信長が仙千代に小さく顔を向けた。
 それを合図に仙千代は、
先に信長から指示を受けていた通り、
信長の兜を掲げ、
恭しく秀隆の前に差し出した。

 「河尻与兵衛尉(よひょうえ)
多年に亘る(わたる)忠節、労苦に報い、
我が兜を授ける」

 「上様からの御下賜にございます」

 信長に正対していた秀隆は、
驚嘆を交えつつも居住まいを一段と正し、
仙千代の手から畏まって拝領した。

 桃型の兜は鉄で出来ており、
子孫繁栄を願う鳥の巣を表す木瓜紋と、
神の加護を念じる御簾(みすだれ)が立て物となっていた。

 「与兵衛尉。
若殿の元服以来、
戦時も平時もよく補佐してくれた。
祝着である。
また、我が父の代より織田家の柱となって、
武辺のみならず(まつりごと)でも重要な働きを見せた。
兜は感恩の印だ」

 秀隆は信忠が率いる軍の副将に任じられており、
信長の正室 鷺山殿の弟 斎藤利治や古老 林秀貞らと共に、
信忠の後見を負っていた。

 「ははっ!
身に余る御言葉、光栄の至りにございます!」

 「与兵(よひょう)にはいつも難題を押し付けてきた」

 長秀と同じく、この秀隆も、
信長の吉法師時代を知る臣下であって、
苦楽を共にした仲だった。

 「上様との旅路は今に至るまで、
欣快(きんかい)に満ちたものでございました。
拝領の兜に恥じぬよう、
一層の忠勤に励み、
今後共、汗を流してまいる所存でございます」

 信長は柔和な笑みを返し、頷いた。

 「さて、その旅路だが」

 信長は幾らか身を前にした。

 「此度は我が方と徳川の連合軍になっておる。
この戦は徳川の戦。織田は援けじゃ。
浜松もそれはよう知っておろう。
ここで力を示さなければ、
徳川は織田の一部隊となってしまう。
危機感故に、
家康父子は死に物狂いの戦いぶりを見せるであろう」

 信忠、信雄、秀隆、仙千代、竹丸は、
一言一句噛み締め、傾聴していた。

 


 


 

 

 

 

 

 


 


 


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