第250話 垂井の竹林(2) 

文字数 1,382文字

 信長が入浴を済ませ、夕餉に入ったところで、
仙千代は竹丸の姿が無いことに気付き、
池田恒興の嫡子、勝九郎に場を任せ、
竹丸を追って外へ出た。

 やはり竹林のあった場所に竹丸は佇んでいた。

 夜の(とばり)が近付いた曇天の雲間に西へ傾いた陽が覗く。
雪がちらちら舞っていた。

 「竹丸」

 竹丸は振り向きもしない。
 ただ、

 「出さないでいた。手紙(ふみ)を」

 と呟いた(つぶやいた)

 「であろうな。書きはしたのか?」

 「書こうと思った。が、上手い文句が浮かばんかった」

 「だから儂が考えてやろうと言うたに」

 「であったな。甘えれば良かった」

 「何故そうしなかった」

 「うむ……まあ……
様々に思うことがあってな……」

 仙千代は竹丸に並んだ。
焦土となった竹林はうっすら雪を乗せていた。

 「むかし見し かげをしるべに またやわれ
思ふ垂井の水をむすばむ」

 垂井の泉は樹齢四百年ともいわれる大ケヤキの根元にあって、
古来より歌枕として知られている。

 「堯孝(ぎょうこう)法師の歌だ。
この一首でも書き送れば良かったんじゃ。
十分思いは伝わったに」

 「馬鹿だな、儂は」

 「そうじゃ。大馬鹿じゃ」

 国司の娘も竹丸に惹かれていたのに違いなかった。
数奇な花の一枝を渡した思いを竹丸は、
分かっていたのか、いなかったのか。

 「左様なことはサッサと決めるもんじゃ、
必ず迎えに来る、待っていよと告げるべきだった。
別れ際に。それを、手紙さえ出さず」

 「傷口に塩を塗るのだな、仙は」

 「女子(おなご)との好いた好かれたの経験はないが、
務めに役立つかと歌はずいぶん読むだけは読んでおる故、
男女の機微を知るだけは知っておる。
惜しむらくは頭でっかちだがな」

 竹丸はようやく少し表情を緩めた。

 「好いておったらしい。どうやら。
思いに気付いたのが今日、先程だった」

 「な、何?何だ、その鈍感ぶりは。
儂を朴念仁と罵ったくせ、
何だ、それこそその朴念仁ぶりは」

 「垂井に近付くにつれ、
徐々に浮き立ってきた。
その浮き立ちの謎を解いたら、そこにあの娘が居った。
いつ顔を見せるのか、胸が高鳴った。
なれど、茶室を出て、竹林が跡形もなく消えていて、
娘が焼けと言ったのだと国司殿が申された時、
ああ、もうここにあの娘は居ないのだと悟った」

 嫁ぐ日の近付いていた娘は、
信長の随員で竹丸が屋敷を訪れることを知り、
竹林を焼かせることで、
未練を断って嫁していく、
その思いを告げたのだと仙千代も察した。

 「風雅な娘御だ。面白い娘だ。心も強い。
竹、逃した獲物は大きかったな!」

 「また朴念仁の仙千代か。
人の心の傷にぐいぐいと」

 「風流ついでに斯様な歌も教えてやろう。
昔見し たる井の水はかはらねど
うつれる影ぞ 年をへにける」

 「藤原の隆経(たかつね)か?」

 「元気を出せ!時は流れる。時は経つ。
なれど垂井の泉はこんこんと湧く。
生きていかねばならんのだ、竹も娘御も」

 歌の意を逆手に取って仙千代は励ました。

 幼い仙千代が、死にたいと思うほど、
惨めで悲しい日々が過去にあった。
しかし、その源となる人は、
仙千代のそれまでの生涯すべての幸せを集めても、
尚、足りないほどの幸福、陶酔を与えてくれた。
生きる喜び、生命の煌めき、生まれてきた意味、
その人は仙千代に教えてくれた。
 
 思いを宝に、前へ進んでいく他はない……
生きていくしかないのだから、
竹もその娘も、この儂も……

 雲の間から朱色の陽が射し、
雪で白んだ竹林の焦土を照らした。



 
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