第146話 小木江城 大鼠(1)

文字数 777文字

 信長が戻る気配に気付いた三郎は部屋へ帰り、
竹丸も、手桶の水を取り替えて姿をふたたび現した。

 信長は粥椀が空になっているのを認めると、

 「どうしたのだ。器が空になっておる」

 と、たいそう驚いた。

 「副将殿、まさか、食されたのか?」

 冗談でもなくそのようなことを言う父に、
仙千代の食欲不振はよほど続いていたのだと知る。

 「有り得ませぬ」

 信忠は事実のみ、答えた。

 「であろうな。なれば、仙千代が?」

 その時、信長は、
仙千代の頬に松の実が一つ付いているのを見付け、
指先で摘まむと、当たり前のように自分が食べた。

 「仙千代が椀を空に。これは驚く」

 その顔は心底の喜びを表し、朗らかに微笑んでいた。

 「仙、すべて平らげたのだな。偉いぞ」

 子供をあやすように扱われ、恥じたのか、
仙千代は、

 「大きな鼠がやって来たのです。
私ではありませぬ」

 と、返した。
 
 このようなところが仙千代だなと、
久しく声さえ聴いていなかった仙千代に信忠は思った。
 長良川で溺れ、仮死に陥り、ようやく目を開けた時も、
目が見えているかどうか確かめた信忠に、
切れ切れの息の中、

 「目が一つ、鼻が三つ……」

 と信忠の顔を見て、可笑しなことを口にした。

 鼠が来て食べてしまったと言った仙千代に、
信長は不思議そうな顔をして、

 「鼠など居らぬ」

 と、真顔を返す。

 「大鼠が食べてしまったのです」

 「では、仙の頬に付いていた松の実は何だ」

 「鼠の置き土産でございます」

 その仙千代に、信忠ならば、

 「では、鼠捕りでも仕掛けるか」

 とでも笑って返すところだが、
椀が空になった喜びで明るい様になっていた信長は、

 「夢か幻か、仙はまだ本調子ではないのだな。
食したのは確かに仙千代。
副将殿でないなら仙なのだぞ。
まあ、何を思って鼠が食したと言うのか。
仙は時折、変なことを口走る。ううむ……」

 と、困惑気味にした。






 
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