第372話 志多羅での軍議(6)豊田秀吉

文字数 879文字

 やがて、轟く雷と共に、

 「豊田藤助、参上!」

 と雷鳴に負けぬ大音声(だいおんじょう)がするや否や、
信長と似た年配の、
雨にどっぷり濡れた侍が末席に姿を見せた。

 「豊田藤助秀吉、
見参仕りましてございます!」

 荒い呼吸を整える間もない藤助に、
榊原康政が、

 「恐れ多くも御前に進み出で、
上様の御下問にお答え申し上げよ!」

 と誰よりも先んじて命じ、
信長の口数の手間を減らした。
 
 「近う(ちこう)!」程度の、
たかが一言に過ぎないとはいえ、
緊迫の場で省けるものは省き、
事を進める気働きは、
康政が家康の小姓として、
幼い頃より務めていたことに因を発していると、
仙千代は思った。
 同時、総大将の信長は、
徳川軍の四倍近い兵を引き連れ、
やって来ているが、
評定を主導しようという康政の意気込みには、
ここは三河だ、
三河の主はあくまで主君家康と、
臣下たる自分達なのだという気概と矜持が見て取れた。

 「はっ!はははっ!」

 本来、
信長に目通りの許される身分ではない藤助は、
十二歳だった仙千代が、
初めて信長に拝謁した時に似た強張り(こわばり)ぶりで、
雨に打たれたばかりが理由ではなく、
顔色を失っていた。

 藤助は微かに震えつつ、
広げられた大きな絵図の前にズズズッと出た。

 康政が、

 「図を濡らしてはならぬぞ」

 と、恐縮の極みという様の藤助に、
三河木綿か、知多木綿か、
これで拭けというように、
大ぶりの手拭いを差し出した。
 
 綿の種と栽培方法は、
平安時代に天竺(てんじく)の商人が、
三河国の幡豆(はず)に漂着してもたらした。
 戦で鉄砲の使用が増大するに従って、
木綿は火縄に用いられて需要が高まり、
三河と尾張は、
南の地域が綿の一大生産地となった。
 一帯が、綿栽培の隆盛を見た背景には、
日照時間が長く、
温暖であることが主たる要因だったが、
吉法師時代から、
鉄砲の有用性を重く見た信長の存在もあった。
生産と消費が、
同地域内で賄える強みが三河と尾張にはあった。

 豪雨の中を駆け付けて、
全身濡れ鼠の藤助に、
口調は厳然としつつも手拭いを渡した康政に、
仙千代は心を温かくした。

 藤助は、
手拭いを拝み頂いて、
雨なのか汗なのか判然としない水気を、
大慌てで拭った。




 





 





 

 



 


 

 




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