第248話 竹の花(9)

文字数 1,587文字

 振り向いた仙千代の先に、
何とも曰く言い難い表情の竹丸が居た。

 「どうかしたのか?思い詰めたような顔をして」

 「仙千代」

 「何だ?」

 名を呼んでおきながら竹丸は背を向けた。

 「おかしな奴だなあ。恋煩いか。
それを儂にぶつけられてもな。
何せ手紙(ふみ)を書け、手紙を。な?」

 仙千代は竹丸の肩に手を乗せた。

 「うるさい。手紙、手紙と。
儂の気も知らずに!」

 何を八つ当たりされる筋合いなのか、
さっぱり分からない。
 仙千代は呆気に取られながらも、

 人を慕えばこうなるという見本か……
儂も若殿恋しさで、
木の根っこを蹴って痛みで泣いたり、
竹に甘えては滅茶苦茶なことを言った……

 と、信忠への思いを胸に描けば、
竹丸の悩ましさは理解できないことではなく、
目の前の揺れる男心の竹丸を赦した。

 「儂の気持ちなど考えたこともないのであろう、
仙千代は……」

 仙千代にしてみても困惑するしかない。
 
 「それはもう、竹の気持ちは竹にしか分からん」

 我ながら良い返しだと思った。

 そうだ、竹の気持ちは竹にしか分からん、
そもそも儂はその娘をまったく知らん、
間に入って取り結んでやることは出来ん、
残念ながら……

 仙千代は俯き(うつむき)加減の竹丸を覗き込み、
ちょっと甘え気味に言った。

 「此度の別れ際、思いを告げてこれば良かったに」

 如何にも真っ当な説を唱えているつもりが、
ますます怒らせてしまった。

 「やかましい!」

 「やっ、やかましいとは!」

 「仙のような朴念仁は居らん!」

 「坂井様が居られる!」

 咄嗟に出たのが、
先程まで仙千代に酔って絡んでいた坂井利貞で、
仙千代はまたも、良い返事が出たと満悦した。
 酔えばあの通りの困った御仁の利貞だが、
我が道を行くという性分で、
温厚ながら融通が利かない堅物だった。
 同時、算術に強く、それ故に、
資材や物品の管理を任せられ、
普請や作事では常に重用されていた。

 「儂は坂井様よりは柔らかい。うむ」

 仙千代は、初の想い人の登場に、
悩ましくしているに違いない竹丸を、
懐柔でもないが、
和らげてやろうと言ったのだった。

 竹丸はまたも背を向けた。

 「もういい。行け」

 「さっきからそう言っておる。
引き留めたのは竹じゃ」

 「黙って去れ!」

 かつてない規模、
斬新な構想の街道を整備するという大仕事から
解放された安堵と疲労、
そこに恋煩いと酒の名残りが重なって、
この夜の竹丸は奇妙そのものだと仙千代は思い、
深追いは避けた。

 湯桶を片付けた後、
館を出て稲葉山を仰ぎ見た。
 数多の星の煌めきの中、天守が屹立している。
きいんと冷えた美濃の真冬の夜空は漆黒で、
星々の瞬きは城を飾っているようだった。
 そこには城主一家が住んでいて、
寵愛への感謝は山より高く、敬ってやまない信長と、
憧憬の念を封印しつつも思慕は海より深い信忠が居る。

 華やかに映る岐阜の御城も、
もとはといえば血塗られた歴史……
鷺山殿の父君、兄君、弟君の悲劇を乗り越え、
殿が見事、奪い返され、今があり、
やがて若殿が代を継いでいかれる……

 いつしか仙千代は、
竹丸の挙動不審に関してはすっかり忘れ、

 竹はあのように、
形の残る立派な仕事をしてみせた……
儂も負けてはおれぬ!
もっと学び、もっと働いて、
殿の御恩に報い、万見の家を栄えさえ、
立身出世を果たすのだ!……

 夜目にも息が白かった。
はあっと吐いては両手でつかみ、
つかもうとしても息は捕まえられず、
まるで見果てぬ夢のようだと思うと同時、
ふと竹丸の悩まし気な様も思い浮かびつつ、

 妙な竹丸だった……
捕らえどころのない、この白い息のようじゃ、
確かに会って数日の娘に思いを告げることは難しい、
今頃、手紙を認めて(したためて)おれば良いが、
はてさて、あんがい晩稲(おくて)なのか、
あれほど賢い竹丸も男女の機微は難問なのだな……

 今一度、仙千代は月光に照らされる天守を見上げ、

 「ううっ、寒い!」
 
 と、小走りに館へ帰った。



 

 
 


 


 

 

 





 

 

 
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