第124話 亡骸(1)

文字数 841文字

 目を見開いた信忠が跪く(ひざまずく)三郎を見下ろすと、
三郎も刮目し、目線を外さなかった。

 「何処に居る!清三郎は!」

 この目で確かめなければ信じられない。

 「清三郎!何処ぞ!」

 信忠に負けない大声を三郎が返した。

 「流されましてございます!」

 「流された!?」

 「木曽の支流を渡る寸前、
崩れかかった船着き場の陰から一揆の者どもに奇襲を謀られ、
倍の数は居た敵を劣勢ながら打ち返し、
川が氾濫する前にと西へ急いで向かう時、
清三郎の瓢箪が葦の茂みの合間に見えて、」

 「何なのだ!瓢箪は!」

 「清三郎は背負っておりました、
大瓢箪に小木江の井戸水を汲み……」

 水は重い。
そんなものを負っていたのでは攻めるにも逃げるにも、
不利になるのは必定だった。

 視界の確保さえ困難なほど雨足が強まる中、
奇襲をかけられ、落馬したものか、
泥濘(ぬかるみ)に足を取られ、
十分に戦うことも能わず、
ただ無念を抱いて討死となった清三郎の姿が
信忠にははっきりと見えた。

 「瓢箪の明るい肌色で、清三郎の身がそこに有ると判り、
濁流の中、辿り着き、姿を認めました」

 三郎の声の震えが涙を堪えていることを教える。

 「何故連れ帰らない!」

 信忠の怒号は凄まじく、激しい雨音さえ子守歌に変えた。

 「射貫かれておりました。首を弓で」

 「だから何なのだ!」

 「泳ぎ着き、揺すり、名を叫んでも、
既に息絶えており、そこで鉄砲水が清三郎を下流に運び、
自分も共に流されましたが(せい)の瓢箪が、
私を救ってくれました」

 「瓢箪が?」

 「溺れかけたのを、
瓢箪の浮力が救ってくれた……」

 金槌で、水に入れば沈むしかなかった三郎が、
今では、岐阜に水術の師範が来られない日は、
教える役に回るほどの達者ぶりだった。
 その三郎でも敵わぬほどの激流の中、
必死に清三郎を追い、身を救おうと奮迅し、
溺死の危機に瀕して最後は清三郎の瓢箪が三郎を救った。

 今朝、執務中の信忠に、小木江へ出立する挨拶の為、
顔を出した清三郎は、
いつも通り、少しはにかんで微笑んでいた。
 それが清三郎を見た最後となった。





 
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