第218話 宴の残照(4)

文字数 1,250文字

 仙千代が胸に頬を寄せ、脚を絡めたせいか、
呼応した信長に抱き寄せられた。

 吐息が耳に吹きかかる。

 「仙千代……育つのは嬉しい。
だが、寂しいような気がするのも不思議だな」

 今まで幾多の小姓を寵愛し、手離し、
羽ばたきを見守ってきた立場にある者だからこその言葉だと、
仙千代は受け止めた。
 信長には多くの子が居る。
しかし子は、母や乳母、家臣が育てる。
正室の鷺山殿はじめ、側室方も若君も姫君も皆、
互いの小姓や近習を通しての接触で、
直接のやりとりを求めるのであれば、
大津長昌、菅屋長頼、堀秀政ら、特定の近侍や、
仙千代、竹丸、勝九郎といった、
信長と行動を一にしている小姓を通さねばならない。
 長昌、長頼、秀政といった側近集団も、
もとはといえば、
竹丸、仙千代のように小姓として信長に侍り、
多くの競争相手が居る中で、
最終的に残った俊英だった。
 小姓は主君にとって、
実の子よりも長い時を共に過ごす、
ある意味、特異な存在だった。

 「皆、あっという間だ。
舌足らずの挨拶が精一杯であった紅顔の童が、
いつの間にやら儂の手足となって動き、
隊を率いて戦で働き……
いつまでも、儂も若くはないわけだ」

 「左様なことを仰らず。
殿にはまだ、
大きな仕事を成し遂げていただかねばなりませぬ」

 「もちろん、そうだ。
しかし、洒落くさった信濃に
愛しい仙千代が酌をしておる姿を目にし、
何やら牡が燃え盛るなど、
むしろ、若い頃なら考えもしなかったと思ってな」

 仙千代は笑った。

 「何が可笑しい」

 「ようやく白状なさいました」

 「何がだ」

 横たわって抱かれたまま信長を見上げた。

 「信濃殿とこの仙千代が並んだ様を、
御覧になりたかったのでしょう」

 いったん仙千代から身体を離し、
仰向けになった信長は天井を見遣り、
髭を撫でながら半ば独白のように言った。

 「ま、そうだ。
呼んだ目的のひとつはそれだ。
自慢したかったのだ。
仙千代は儂のもの、この宝は儂のもの、
どれほど欲しくとも手は出せぬぞと」

 そこまで一気に言うと、
今度は仙千代を向いた。

 「妬いて身を焦がす自分を見てみたかったのだ。
左様なことは今まで生きた中でなかなか無かった。
妬心とは如何なるものか、興味があった」

 仙千代と村重の初の邂逅があった際にも信長は、

 「信濃に笑い掛けてやったらどうだ」

 と茶々を入れ、仙千代の機嫌を損ねてしまい、
冗談半ばとはいえ、詫びる羽目になったのだった。

 髭を撫でている手に仙千代も手を添え、
撫でるのを止めさせると、
信長の胸に胸を重ね、鼓動を受け止め、
ごく近い距離から見詰め、伝えた。

 「二度と嫌でございます。
そのようなな御戯れ、
以後、為さらないでいただきます。
殿の一興の道具にされるは、
愉快ではございませぬ」

 たかが一小姓がこれを口にすることは勇気の要ることで、
ある意味、蛮勇とさえ言えることだが、
仙千代には勝算があった。
 信長は激情家だが、理のある話には耳を傾けた。

 「またも仙千代の機嫌を損ねたか。
すまぬ。詫びる」

 仙千代は、信長の咄嗟の謝罪を、
まずは敢えて受け取らなかった。


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