第301話 京の南(4)

文字数 1,186文字

 翌、卯月の十七日、
山桜、桃といった花々が、
丘陵地の山腹に麗らかな(うららかな)眺めを見せる中、
信長は堺に向けて出陣し、香西越後守(こうさいえちごのかみ)
十河因幡守(そごういなばのかみ)という二人の大将が立て籠もる新堀の出城を取り囲み、
攻撃を開始した。

 十九日、夜に入り、総攻撃となった。
火矢を打ち込み、
先だって刈っておいた草木(そうぼく)を使い、堀を埋め、
攻めに攻めた。
 敵方は大手門、搦手門から打って出た。
そうなれば既に勝負はあったということで、
香西越後守長信は生け捕りになった。

 夜中ではあったが、
信長は面詰(めんきつ)を翌朝に回さず、
長信を陣に引っ立てた。

 信長は長信と、旧知の間柄だった。
 五年前、
石山本願寺が後ろに付いていた三好三人衆を信長が攻めた時、
香西長信、十河一行は織田軍に内応していた。
 二人は調略に失敗すると、
信長の許へ落ちのび、辛くも命脈を繋いだ。
しかし、長信、一行は、恩顧を忘れ、
やがて三好方に復帰し、
以降は高屋城の支配をめぐり、
目まぐるしい攻防を信長と繰り広げた。
 高屋城は本願寺の一部を形成する重要な城で、
信長は一時、高屋の覇権を固める為に、
年若い城主に養女を嫁がせ、傀儡を立てまでしたが、
一族で内紛が起こり、
高屋城は三好康長、本願寺 顕如への臣従に転じ、
信長への反攻を続けた。

 信長は長年の鬱憤を晴らそうと、
朝を待たず、長信の首を刎ねた(はねた)
 十河一行は高屋城で討死し、
十河一門衆をはじめとする屈強の武士、
百七十余人が、夜戦で討ち取られた。

 高屋城に籠っていた三好康長は、
松井友閑を通じ、降参を申し出た。

 友閑は祖父の松井宗富が足利義政に仕えて以来、
代々、幕臣だった。
 友閑もまた義政の子や孫に仕えたが、
永禄の変で、
十三代将軍 足利義輝が三好三人衆によって殺害されると、
信長の臣下となって、
現在は堺の代官を務めるという有能ぶりだった。

 三好家にかつて主君を殺害された友閑が、
康長に複雑な思いを抱かないわけではないに決まっているのに、
戦国の世の奇怪さは、
康長が織田家の使者として友閑を指名するといったことに、
表れていた。

 三好康長にしてみれば、
義輝公の家臣であった松井殿なれば、
何の面識もない尾張や美濃の武将を相手にするよりは、
ということか……

 畿内の公家公卿、大名、富豪を、
悉く(ことごとく)知る友閑を信長が重用する意を、
このような時、仙千代はあらためて身に覚えた。

 やがて、
康長の投降交渉から戻った友閑に信長が問うた。

 「奴は何と言っておる」

 「ただひたすらに上様にお任せし、
首を差し出す所存と申しております」

 「今になって、ようやく殊勝か」

 「河内の三好の城すべてに使いを出して、
全面降伏の旨、伝え、
兵糧、武器弾薬を大人しく差し出すこと、
城の打ち壊しに協力すべきこと、
厳しく下知を済ませたとのことでございます」

 康長の腹心である香西長信と十河一行は処刑されたのだから、
康長もまた、斬首または切腹かと仙千代は思い、
友閑の報告を聞いていた。




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