第364話 総白の旗

文字数 938文字

 五月十八日、東へ馬を進め、
信長は志多羅の極楽寺山に、
信忠、信雄(のぶかつ)は、
信長から眺望の効くその南方に陣を構えた。
 
 家康父子はころみつ坂の上、高松山に陣を敷いた。

 志多羅は連吾川の谷底低地にあって、
河岸の段丘が幾重にも凹凸を為していた。
 
 信長は敵方から見えないように兵を窪地に散らばせて、
三万程を配置した。

 先日来、
丹羽長秀、滝川一益、羽柴秀吉の三将は、
有海原(あるみはら)に布陣して、
武田軍を引き付けていた。
 長秀らの動きが鈍いと見たのか、勝頼は、
長篠城に攻撃隊を七隊残し、
滝沢川を越え、有海原へ進出した。
 武田の小分隊は、
極楽寺山に信長が移る際、山間で遭遇し、
織田軍が壊走させていた。

 勝頼は、連吾川の東に、
勝頼本隊、甲斐、信濃、小幡、駿河、遠江の軍勢、
東三河の地侍といった一万五千ばかりを、
西向きに十三ヵ所置いた。

 武田軍は信長の眼下、
わずか半里程先に居る。

 「総白に大の字の旗印が見えるようじゃ」

 勝頼の印は、
白地に「大」の一文字が、
黒く染められた旗だと聞いていた。
 志多羅を見下ろす極楽寺山とはいえ、
流石に半里先の旗までは望むべくもなかった。
 しかし、
川の向こうには武田勢が迫っていると思えば、
信長の言うことに頷かない(うなづかない)ではなかった。

 今回の出陣には、
仙千代の生家筋の縁者にして、
家臣となった近藤源吾重勝が加わっていた。
 二十三歳の重勝は既に実践経験があり、
彦七郎、彦八郎と行動を一にして、
信長及び仙千代を警護していた。

 夕餉の後のちょっとした隙に、

 「勝頼の旗は何故、総白に大の字なのです」

 と、重勝が訊いた。
 口数の少ない重勝にしては珍しかった。

 「信玄公の後継でありますれば、
孫氏の兵法に登場する、
疾如風除如林、侵掠如火不動如山という言葉が、
染め抜かれているのかと」

 と尋ねる重勝に、
仙千代の代わり、彦七郎が応じた。

 「総白地に大の文字。
大は武田の領国、諏訪の大明神か、
武田家の源流、清和源氏の奉ずる八幡大菩薩か、
どちらであろう。
いずれにせよ、
疾き(はやき)こと風の如く……というあの旗は、
勝頼の嫡子である武王丸殿の代になるまで使ってはならぬと、
信玄の遺言であるそうな」

 重勝は黙っているままだった。
 
 彦七郎が続けた。

 「そこには、
誇り高いとされる武田家ならではの事情があると聞く」


 
 
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