第293話 土倉商(5)

文字数 932文字

 書状の内容を纏める(まとめる)ならば、
今後、横倉家に対する織田家の窓口として、
必ず万見仙千代で願うという趣旨のもので、
ただ、その一言に尽きた。
 また、徳政令を、
全面的に受け容れることは当然として、
近江の湖東地域から洛北、洛中に関しての作事について、
横倉家として為すべきことがある場合、
大いなる名誉として援助を申し出たい云々とも、
認め(したため)られていた。

 信長含め、全員が呆気にとられた。
何が書かれているのか知らないまま渡されたものらしく、
仙千代本人も目を白黒させている。

 勝九郎から書状を手に取り、
今一度目を通した貞勝が呟いた(つぶやいた)

 「横倉基以(もとい)は難しい人柄だと聞き及んでおりました。
故に、最後にしたのです。
手強い相手です故、縺れた(もつれた)場合に備え、
少しばかり荒っぽい手管も想定しておりました。
万仙は、如何なる作戦で臨んだのだ?」

 「いえ、作戦などございません。
面談には及ばずと命じられておりましたので、
横倉屋に向かっただけでございます」

 「しかし、結果は見ての通りだ」

 「先程も申しましたように、
高念寺の再建は真に喜ばしく、
焼失の悲しみを癒やして余りある慶事だと思い、
心から祝意を伝えましてございます」

 「他には?」

 奥の深い、言い換えれば、
利益と人間関係の込み入った京の政務を長く務めるだけはあり、
貞勝は仙千代が、
他にも何らかの心構えがあったのではないかと察し、
尋ねた。

 「先般、所司代殿から、
横倉家の源流は近江の湖東に発しておると聞きました。
あれほど大きな(うみ)の傍にありながら、
河川に恵まれず、干ばつに度々見舞われ、
作物が育ちにくい土地柄であるとも。
一方で街道は近い。
作物が採れぬならどうするか。
そこで、
あのような商人が育つ素地があるのでしょう。
とはいえ、米は暮らしの礎。
私の育った鯏浦(うぐいうら)は逆で、
大雨ともなれば水が溢れ返って困っております。
時候の話から五月雨(さつきあめ)の季節が近いという話題に移り、
私が故郷のお百姓達の苦労を申しましたところ、
治水、灌漑、利水、また近江と京を結ぶ水運の将来についてまで、
思うところを心を込めて語ってくれました。
その間、私は時に問いを発したのみで、
傾聴していたに過ぎませぬ」

 信長が貞勝を見遣ると、その眼に光があった。
貞勝が仙千代の芯の部分に触れたのだと、
信長は知った。

 





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