第113話 小木江城 寺育ち

文字数 1,123文字

 「藤吉郎、あ奴は、まこと……」

 首実検を済ませ、甲冑を仙千代、竹丸に脱がされながら、
信長は笑みを浮かべ、機嫌の良さを隠さなかった。

 仙千代には信長の上機嫌の理由(わけ)の察しはついた。
樋口直房は秀吉の与力であって、信長の直臣ではない。
尚も言うなら、言葉さえ、掛けたことがない。
それを敢えて小木江城の信長に首を届ける。
 その意は、信長と同様、一向一揆に対峙している秀吉が、
一揆衆許すまじという強い意志を、
主君、信長に奉じて見せたということなのだった。

 羽柴様なればこその振舞、殿の受け止め……
下手をすれば、暑い最中(さなか)に、
斯様なものを送り付けたと怒りを買うやもしれぬところが、
殿は喜ばれ、羽柴様への引きは強まった……
殿は羽柴様にはずいぶん甘くていらっしゃる……

 卑賎の身から今や大名となった秀吉は、
他の誰に仕官を望んでも認められず、流浪した。
尾張の一奉行家から伸し上がった信長には、
秀吉の艱難辛苦が易く想像されるのかもしれなかった。
 また、
読み書きさえ満足に能わぬ(あたわぬ)境遇にあった秀吉の才を見抜き、
ここまでにしたという満悦も信長にはあるに違いなかった。

 織田家であれば身分、出自を問わず、
才覚、努力次第で出世が叶うという手本が羽柴様……
不平不満を言わぬどころか、
大風呂敷を広げては上々の結果に繋げる羽柴様を、
殿が気に入られるのも無理はない……

 仙千代と竹丸が信長を身軽にしたところで、
秀吉からの使者の取次をした堀秀政に信長が問うた。

 「樋口は真宗門徒であったのか」

 「はっ!そのように聞いております。
それが為、越前での騒動を収めんと、
講和を画策した模様にて」

 「久太郎も真宗の寺の育ちであったな、幼少時」

 一向宗という俗名を、
真宗門徒は使ってはならぬという達しが本願寺から出ていると、
仙千代は耳にしたことがある。
 憎悪の念すら抱く怨敵を信長が真宗と呼んだことには、
秀政への情けが感じられた。

 「左様でございます。伯父の寺に預けられておりました」

 「此度の樋口の行状、如何に思う」

 小柄ながら華やかな容貌の秀政が表情を引き締めると、
明晰であることが一段と知れ、
場に心地よい緊張をもたらした。

 「まずは羽柴様の御家来である身を忘れての仕業、
あるまじきことでありますれば、許し難く、
羽柴様が成敗なさるは当然のこと。
羽柴様に逆らうは、殿に逆らうも同然にて、
一段と憤怒に耐えませぬ。
我が伯父も、一日も早い現世解決を望んでおります」

 信長の眼が光った。

 「ほう。伯父君は許すと申すか、根切であっても」

 秀政の勇ましい言葉の裏に苦悩が滲んでいた。
同時、強い語調で本願寺を責めることにより、
他地域の一向一揆に連動を見せない、
尾張と美濃の真宗寺を庇わんという意識も潜在している。




 
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