第411話 仏法僧の夜(10)二人の秀吉②

文字数 1,296文字

 走り寄り、信長の前に進み出た藤助は、

 「豊田藤助秀吉、
上様の此度の大勝利、
衷心よりお慶び申し上げ奉りましてございます!」

 と、名乗った。

 「うむ!
一兵一馬、損じることなくと思うておったが、
我が連合軍もけして無傷ではなかった。
だが、有史以来の圧勝に違いなかろう」

 「まさしく仰せの通りにございます!」

 ふと信長は藤助を見、

 「そうだ、藤吉ではないのか」

 と訊いた。

 気の利いた返しなど縁なく過ごしてきた無骨者の藤助は、
どのように答えれば信長の機嫌を損ねず、
無礼に当たらぬのか逡巡し、
救いを求めるように、
信長の脇に控えた仙千代を見た。

 仙千代は藤助に柔らかに笑んだ。

 「上様が藤吉と仰せなら、
藤吉でございます、この目出度い一日は」

 信長は破顔して、

 「ならば今宵は藤吉じゃ。
我が家来に、
大出世の城持ち大名、
羽柴藤吉郎秀吉という似た名の者が居る。
藤吉は縁起の良い名であるからの」

 「ははっ!」

 「やがて宴が始まる。
徳川諸将の列に加わるが良い。
長篠城救援譚ももちろん聞くが、
雨夜の行軍話も是非に所望じゃ」

 「ははっ!」

 仙千代が補足した。

 「二年前の朝倉攻めで上様は、
嵐の夜に急峻なる山道を御自ら先頭きって、
行軍なさっておいでなのです」

 「うっ、上様が?御自ら!嵐の夜に?」

 「そうじゃ、先駆けをな。
好機を逃してはならぬと思ったら、
のろのろしておる武将共を、
ぐずぐず待ってはおられぬで」

 「はっ!ははっ!」

 朝倉義景討伐の際、
真夜中に信長を警護して出立した、
若い侍達を頼もしく思った信長は、
正月の訪問客が帰った後に、
箔濃(はくだみ)髑髏(どくろ)を披露して、
一滴残しをして遊び、大いに楽しんだ。

 朝倉義景、浅井長政父子、
三人の箔濃で信長がもてなした若侍達も、
将来が有望視された者達ばかりとはいえ、
当時、けして高位ではなかった。
 信長は血統、地位を利用はしたが、
信奉者ではなく、
あくまで資質、才覚に重きを置いて人を見た。

 何をどう返せば良いのか見当のつかない藤助は、
信長が何を言おうとも、

 「はっ!」

 「ははっ」

 という調子で赤くなったり、
汗を滝のように流したり、
時に助けてくれと言わんばかりに仙千代にすがったり、
後はひたすら頭を下げた。

 「軍議の場では、自筆の絵図を広げ、
生き生きしておったぞ、藤吉」

 「はっ!今は生きた心地が致しませぬ!」

 仙千代は、
悪戯心を起こして間に入った。

 「それを御国言葉で申してみよ」

 「儂も聞きたいぞ」

 藤助は困惑しつつも従った。

 「ははっ、はっ!
上様、万見様、
御両名様が仰るのでありますれば……」

 「申せ」

 藤助は一大決心をしたかのように、

 「生きた心地がせんでのん!」

 と怒鳴るように発した。

 仙千代が、

 「生きた心地がせんでいかんがね!」

 と尾張弁を乗せると、
信長も負けていなかった。

 「生きた心地がせんでよう、
汗が出て止まらんわ!」

 高所の二人に目を剥いた藤助を、
信長と仙千代が笑い、
すると藤助も、ようやく笑った。

 やがて、御座所に入った信長は、
仙千代に、

 「あれで良かったか?」

 と訊いた。

 つまり、仙千代の願いを聞き入れて、
藤助を招待客に加えたのだと信長は、
伝えたのだった。

 
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