第120話 小木江城 迷い(2)

文字数 1,339文字

 「あれで良い。
むしろ、あのぐらいのこと、してやらねばならん。
長島を去るなら追い討ちはせぬと幾度も言ってやったに、
立ち去るどころか落ち武者、忍び、流れ者まで寄せ集め、
抵抗を強め、支配を手離さなかった。
頼旦は己の仕業が如何ほど酷な結末をもたらしつつあるか、
今頃、目の当たりにしておるはず。
それは顕如にも伝わる。
こちらが一切の同情を見せるつもりがないことを、
事あるごとに知らしめる。仙の為し様は正しいものだ。
それが嬉しかった。仙の成長が」

 そのように言われればそうなのかもしれない。
仙千代自身、一揆軍は身勝手過ぎると思った。
信長が言うように機会を捉えてはこちらの怒り、
優位性を表明しておく必要がある。

 しかし仙千代は気が沈んだ。

 何て嫌な奴になってしまったのか、儂は……
小賢しい、嫌らしい奴に成り下がってしまった……
 君主の権威を笠に着た嫌味な小姓が一匹居ったとあの男は思い、
頼旦にそれを言うのか言わぬのか、
また、水をあの使者はどうするのだろう、
儂があの男なら、何処まで頼旦に報告するだろう……

 仙千代は悩ましく思いを馳せた。
昏い(くらい)顔に気付いた信長が声の調子を変えた。

 「後悔はしないことだ。
少なくとも後悔に安住せぬことだ。
何も生まれぬ。
取り戻せぬことを悔やむなら次への糧とすることだ」

 「殿には後悔はないのですか?」

 一瞬の間を置いたあと、

 「平手を失った時」

 と答えた。

 父、信秀の葬儀に於いて、
菩提寺 那古野の萬松寺で、三百人の僧侶が読経を上げる中、
信長は抹香を位牌に投げ付け、立ち去った。
 家中の批難が信長に集まる中、傳役(もり)の平手政秀は、
信長を諫める為、腹を割いた。

 「様々な感情が渦巻いて、そのような真似をした。
気付いたら、抹香を掴み、投げていた。
儂の味方は父と平手だけだった。
だが、平手が死んでも儂の行状は変わらなかった。
本性がそうさせていたこと故、直ちには、な。
政秀寺(せいしゅうじ)を建てて平手への気持ちをそこで切り替えた。
平手の為にも、屍となった多くの家臣の為にも、
後悔なんぞしてはおられぬ」

 苛烈を極めた尾張統一の道程に苦しみ抜いた信長の境地を、
未熟な仙千代が完全に咀嚼し、理解することは難しかった。

 「少々風に当たってまいります。もう一度、雨が降る前に」

 身体を離した仙千代に、信長は、

 「何だ、つまらん、行くのか」

 とでもいうような顔を敢えてした。

 「一人では行くな。遠くへも、な」

 「はい」

 仙千代は返事をしたが、誰にも声を掛けることなく、
城郭内を半ば彷徨うように歩いた。

 儂は半端だ、中途半端だ、
白から黒まで感情が入り乱れて何も決められない、
赤子を抱いた母が銃弾に倒れれば悲しみを覚え、
一方で、頼旦の使いに嫌がらせをして悔やみ……

 堀秀政と話し、
少しは懊悩の暗雲が晴れたはずであったのに、
今日の自分の在り様に嫌悪を抱いて、
信長にまで当たってしまった。

 先般、一揆衆に追い討ちをかけられて、
命からがら逃げ帰ったあの恨みを忘れたか……
可哀想だ、気の毒だといって、
我が身を投げ出せば解決するのか、
何も解決しない、ただのひとつも……

 西の空の虹は消えて、黒い雲が厚く沸き立っていた。

 三郎達が向かった二間城は豪雨かもしれない、
一行が濡れなければ良いがと仙千代は思った。

 

 



 

 

 

 

 







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