第62話 箔濃の宴(2)

文字数 1,344文字

 竹丸を褥に寝かせ、搔巻を被せると、
竹丸の枕元に座した彦七郎が思い直したように、

 「それにしても箔濃(はくだみ)とは。
世にも珍奇な一品を拝見し、今日は驚いた。
しかも、重臣の御歴々に先んじて見せていただけるとは。
ほんに有り難い、至福の正月じゃ」

 と、言った。弟の彦八郎と仙千代も、頷いた。

 「仙は宴の前にもう見ておったのじゃな」

 「うむ、皆々に披露する故、
恭しく(うやうやしく)戴き持って供するようにと、
竹共々、言い付けられておった」

 「やはり、驚いたか?」

 「それはもう」

 昨日、大晦日に、仙千代と竹丸は信長に呼ばれ、
朝倉義景、浅井久政、浅井長政の箔濃を見せられ、
元日の夕のごく内輪の酒宴で、朝倉攻めの際に、
信長に付き従った馬廻りと若衆に披露する心積もりであること、
そして、箔濃の謂れ(いわれ)を聞いた。

 黒々と漆が塗られ、
金箔銀箔が煌めく三人の晒れ頭(しゃれこうべ)の眼は(ほら)となっていて、
空疎であるはずのその穴はこちらを見入って、
死というものの謎めいた深淵を思わせた。

 殿はどのような御気持ちでこの箔濃を作らせたのか……
朝倉は確かに織田家と古い因縁の仇敵、
なれど、聞けば長政様は、かつてなく殿が気に入られ、
大きな期待を寄せた義理の弟君……

 年若い仙千代には信長の胸中の真底は分からなかったが、
ただ憎い、腹立たしいというだけではない、
複雑な愛憎があるということだけは理解ができた。

 裏切った長政様もお辛かったに違いない……
そして、殿もまた……

 彦七郎が興奮冷めやらぬ様子で話す。

 「殿の恩師、沢彦宗恩(たくげんそうおん)師は、
流石の博識であらせられたのじゃなあ。
とはいえ、知識として知っておっても、それを実行し、
この目で確かめてみるという殿の御気性もまた流石。
我らの殿はまさに日の下一の殿様じゃ」

 これには大いに同意し、仙千代も答えた。

 「うむ。確かに殿は興しろい御方。
お若い頃には、
大蛇の魔物が出るという比良のあまが池に領民を集め、
民百姓に池の水を鍋釜で櫂い(かい)出させ、
殿自ら、魔物を退治せんと口に短刀を咥えられ、
池に潜ると、大蛇は居らぬとその目で確とお調べになって、
皆々を安心させたとか。
殿にもお若い頃がおありになって、左様な逸話をお聞きすると、
つくづく面白い御方だと、ただ感心するばかり」

 仙千代はその話を竹丸も同席の場で信長から知った。
今では重臣の丹羽長秀、前田利家らが当時は小姓で、
共にその場に居ながら、
潜ったのは信長だけであったと聞き、笑いたかったが、
長秀や利家を笑うことは憚られると思い辛抱していると、
仙千代、竹丸の我慢を読んだ信長が、

 「笑って良いぞ」

 と言ったので、二人は破顔した。
自身と嫡男が二代続けて信長の娘を正室に迎え、
信長と信長の父、信秀から一文字づつ名を拝領している、
寵臣中の寵臣の長秀、
やはり信長の娘を嫡男の正室としている利家、
二人は今もって信長の寵愛が深かった。
そのような二人を不注意に若輩の自分達が笑うことは出来ず、
仙千代達は笑いを堪えていた。

 「そろそろ退散するか。夜も更けてきた。
竹も寝付いておる」

 彦七郎が立った。彦八郎も続いた。

 仙千代が、

 「儂は残って、あと少し様子を見る。
そうだ、顔を拭いてやるから湯と手拭いを頼む」

 と言うと、弟の彦八郎が、

 「分かった。直ぐ持ってくる」

 と受け、二人は部屋を後にした。

 


 




 


 






 

 



 
 
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