第414話 仏法僧の夜(13)勝栗②

文字数 1,302文字

 仙千代自身、
自分ごときが何を言っても、
釈迦に説法だと分かっている。
 ただ今の信長は、
三万有余の兵の命を預かって戦った、
極端な緊張から放たれて、
ようやくの休息を得た貴重な時を楽しんでいて、
それを思うと下手な説法を、
心苦しくとも、しないではいられなかった。

 儂でなくともこの場に居れば、
竹丸だろうと堀様だろうと儂と同じことを、
上様に申し上げるに違いない、
その為に上様は、
我らを傍に置いておられるのだから……

 「案外せっかちなのだな、仙千代は。
戦は終わったばかり、
首級(くび)実検さえ済んでおらぬというに」

 「徳川の皆様方と一堂に会す機会は、
滅多に、いえ、まず、ございません。
今宵は奇跡の一夜でございます」

 「確かに」

 「話は戻り、
徳川様の御所領が現在の三河、
及び遠江の一部から旧今川領全域へと、
爆発的に拡大することは遠からず。
まこと、目出度きことにございます。
なれど」

 「同盟相手であろうとも、
威勢が強過ぎるのはな。
何事も程々が良い」

 またも信長が、
栗を仙千代の口に運ぼうとした。

 「結構でございます」

 「つまらん奴だ」

 「つまらんついでに申します。
酒井様を一度、
岐阜へ招かれては如何でしょう」

 「酒井を?」

 酒井忠次(ただつぐ)は石川数正と並び、
人質時代の家康に付き従って仕え、
数正に匹敵する力と信を家康から与えられていた。

 「上様は清須城に石川様を度々、
呼んでおられたとお聞きします」

 「浜松が尾張に住まって、
竹千代と名乗っておった頃、
石川が竹千代を守護しておって、
爾来、石川は三河との交渉事を、
筆頭で担当しておった。
往時は我が居城、清須へ、
石川は、よう来てもおった。
今川義元を討った後、
三河との同盟までに二年を要した。
石川は粘り強い、なかなかの男。
ある日、大雨になり、
泊まってゆけと言っても断って、
たいした慎重居士だ。
他国の城に易々と泊まるものではないからな」

 家康は、
東三河を酒井忠次に治めさせ、
松平家発祥 西三河は、
家康の生誕地である岡崎城の主を嫡子 信康として、
全体は石川数正に任せ、
信康を補佐させていた。

 「此度の合戦は、
酒井様の手柄が如何にも大きく映りましょう。
上様と徳川重鎮の石川様は既に御懇意。
ここは酒井様とも、
一段と(よしみ)を深められるのは如何」

 「何が言いたい」

 「酒井様を岐阜へ招かれて、
初夏の長良で鵜飼いを共に楽しまれては?
酒井様は(かばね)は違えど事実上、
松平一族の御長老。
そして徳川様の御血筋である御子様達は、
御嫡男の下にもまだ男子が居られるとの由。
御子様方も御一緒なされば、
さぞ思い出深いことでございましょう」

 栗を食べていた信長の口の動きが止まった。

 仙千代は信長に真意が伝わったと知った。

 「仙千代」

 「はい」

 「呆れた奴だ」

 今度は栗を手づかみで取ると、
仙千代の頭をもう一方の手で動けなくさせて、
強引に口へねじ込んできた。

 子供でもあるまいし、
信長の荒っぽいやり方が、
ふと吉法師になっていた。

 「うっ、上、さっ、んま!」

 「面白きことを言うた。褒美じゃ」

 「んぐっ!斯様な褒美、迷惑でござ、」

 仙千代が寄り目になりつつ抗弁すると、
信長が爆笑し、
忙しくしていた小姓達が、
呆れた顔で二人を見ていた。
 




 

 
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