第365話 武王丸と御坊丸

文字数 800文字

 彦七郎は声を落として語った。

 「勝頼は信玄の四番目の男子。
尋常なれば家督を継ぐことは有り得ない。
武田家では代々、信の一字が与えられるのだが、
勝頼は受けられず、
信玄の側室であった母方の姓である諏訪の名跡を継いで、
諏訪四郎勝頼と名乗らされた。
高家とされる武田家から見れば、
諏訪家の家格は低く、
勝頼が家を継ぐ可能性は(はな)から摘み取られていた。
ところが皮肉なもので、
御家騒動や兄達の病という事情を経て、
外へ出された勝頼が、
信玄他界後の武田を急遽、背負うこととなった。
勝頼は、
武田の血の流れを持つ諏訪氏という扱いのまま、
武王丸殿の後見という立場に居る。
源吾殿も存じておられようが、
武王丸殿は、
上様の亡き姪御様の御遺児でいらっしゃる。
その父にして後見人が勝頼で、
正式な武田の跡継ぎは、
あくまで武王丸殿ということなのだ」

 武に秀で、学も修めた重勝だが、
このような類いの話は高位の武家、
もしくは権力の中枢に居なければ、
口にも耳にもしない話であって、
そのような境遇ではなかった重勝は黙考した。

 「上様の五男であらせられる御坊丸様は、
甲斐の武田家に身を置いていらっしゃる。
武王丸殿共々、
織田家の御血筋の若君御二人は、
此度の戦を、
如何なる思いで見ておられるのか……」

 と、彦七郎は話した後、

 「とはいえだ!
御坊丸様に帰っていただく為にも、
この戦は敗けられぬ。
勝利を得れば、
武田は我が方に懐柔策の一環として、
御坊丸様の帰還を申し出てくるは必定。
でなければ、上様がお許しにならぬ」

 と、威勢を奮った。
 
 重勝の黒目がちな大きな瞳に、
表情の変化は無かった。
 しかし、その引き締まった口角が、
一段と堅く結ばれたのを仙千代は見た。
 
 口は悪いがとことん人の善い彦七郎、
彦七郎の直情を補う控え目な彦八郎、
そして無骨一辺倒にも映る不愛想な重勝を、
兄弟が今では受け容れている様に、
仙千代は感謝の思いを抱いた。

 

 
 



 





 

 




 



 

 

 

 

 
 

 

 
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