第135話 小木江城 諦念(2)

文字数 1,273文字

 試すように、諭すように、信忠を三郎が見た。
眼差しが宙で交差し、互いが譲らなかった。

 しばしの沈黙の後、
信忠は三郎と二人で居た時の様子はすっかり消して、
落ち着いた口調で答えた。

 「直ぐ様、行ってやるが良い。
一揆の賊は毒を持っておったという話。
息子殿が見付けなければ井戸に毒を放り、
小木江の井戸は地下で繋がった水脈すべて侵された。
息子殿は軍の生命線、水を守った。
何日でも傍に付いて、十分看てやるが良い」

 力がこめられていた三郎の肩の角度が落ち、
安堵の息が聴こえるようだった。

 仙千代の今回の働きは簡潔に記されていた。
しかしそれは、実際、たいした功績だった。
水の入手が困難になれば戦の遂行に支障が生じ、
影響は計り知れない。
 
 小木江城を織田軍本隊が攻めた際、
こもっていた八千人は、
城兵のみならず有象無象(うぞうむぞう)に女子供も含まれていて、
あっという間に城は落ち、
一揆軍が置き土産で井戸を汚す(いとま)もなかった。
 それが織田軍には幸いで、
今回の大軍は水に事欠かず済んでいる。
 
 今の一揆軍に奪われた城に攻め込むまでの力はなくとも、
水脈の汚染に成功すれば、
圧倒的優位の織田軍も疲弊は免れない。
織田軍の総力を結集させたこの戦が長引けば、
羽柴秀吉が一揆衆と対峙している越前、
明智光秀が抑えを任じられている畿内へも影響が及び、
ひいては武田、毛利を勢い付かせる。
井戸に毒を盛ることも、奇襲といえば奇襲なのだった。

 書状を携えてきた使者が伝えるには、
仙千代が賊の二人を相手に負傷する中、
駆け付け、救ったのは、彦七郎と彦八郎だった。
 仙千代が少々浮かない顔をして外へ出て行ったのを、
信長が気に留め、後を追うよう、兄弟に命じたのだった。

 居所を探しあてた時、
仙千代は背を斬られた瞬間で、
兄弟が賊を捕縛し、仙千代を救った。

 忍び込み、仙千代を瀕死に遭わせた一揆衆の二人は、
過酷な取り調べを受けているに違いなかった。
 無論この後、命を断たれることはいうまでもない。

 城郭内の警備に綻びがあったとして、
責任者は即刻処罰され、任を解かれて謹慎の身となっている。
 信忠への書状でも、城及び城内、
また井戸を徹底警備するよう、信長の書状は伝えていた。

 感謝の念は重々あれど、
今、城を離れるわけにはゆかないと仙千代の養父は告げた。

 信忠は、

 「息子殿は元はといえば儂の小姓。
儂も心配でならぬ。
一刻も早く小木江へ発ち、
意識を取り戻すことがあるのなら、
此度の働き、天晴であったと、是非とも伝えてやるように。
留守の間のことは心配せずとも良い。
特別な手柄をたてた万見仙千代を儂も誇りに思っておる」

 と、伝え終えると、
仙千代の養父が礼を返し切る前に部屋を出た。

 信忠は、三郎に、

 「よほどの報せでない限り、今日は誰にも会わぬ」

 とだけ言い、奥の間で一人になった。

 仙千代の容態は信忠を激しく悩ませた。
しかし、三郎が諫めたとおり、
大将たる信忠に勝手は許されなかった。

 昼間から襖も戸も閉め切って、
信忠は薄闇の中、ただ仙千代の安否を案じ、
生を願った。
 どれほど仙千代を思っても、
信忠にできることは何もなかった。




 

 



 



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