第170話 河内長島平定戦 亡者の群れ

文字数 1,420文字

 織田家の後継である信忠初の大将戦として、
信長が十二万の兵力を動員し、長島の地に入ったのは、
梅雨も明けきらぬ文月の十三日だった。
 それから二ヶ月半が経ち、既に長月の二十九日。
 
 紐解けば、信長にとり、
およそ十年以上に渡る国境争いだった。
 
 長島は、信長の城、岐阜からわずか十数里。
織田家本来の領地である尾張とは川を隔てるのみ。
 いわば、信長の膝元で、
僧兵、敗残者、ひねくれ者、凶徒が寄り集まって、
元来の領主達から支配を奪い、
出城を築き、本城を建て、いつしか治外法権の地と化した。

 九年前、信長は、
長島の服部党 及び一向一揆勢への押さえとして、
鯏浦(うぐいうら)、小木江の二ヵ所に城を築き、
異母弟(おとうと)の信興を城主として据えた。
 五年近くの間、
服部一族、一向門徒を防いだ信興だったが、
浅井・朝倉、武田、本願寺という包囲網により、
信長が身動きできずにいるところを、
服部党、一向宗に狙われ、
鯏浦城を落とされると、
次には小木江城に押し戻され、
信興はたった一人の援軍さえ受けられず、
六日間、勇敢に戦った後、
最期は八十名の家臣と共に自刃して、若き命を散らせた。

 いざ出陣し、今、長島のこの中洲から、
尾張を振り向くと、小高く小木江の城が眺められ、
ようやく信興の仇を討つことができると思うと万感迫り、
信長は視界が曇った。

 信興、見ておれ、浄土から確と(しかと)
儂と同じ血が流れる信興を殺めた奴ら、
地獄の果てに追ってでも、赦しはしない!
信興を手にかけるは儂に手をかけたも同然!
そ奴等の腹を三つ四つ切らせたからと、
この憎悪にはまったく足りぬ!
信興の無念、何倍、何十倍にもして返してくれる!……

 二ヶ月半前、戦の口火が切られた翌日には、
滝川一益、九鬼嘉隆の水軍が、長島城を厳重に包囲し、
揖斐、長良、木曽という大河が集まる伊勢湾の河口は、
砲台を備えた安宅船(あたけぶね)、剛健な囲い船が何百と集結し、
水面(みなも)を埋めた。
 諸将の船は思い思いに綺羅星の如く旗印を立て、
一向一揆勢の本城、長島を取り囲み、
蟻が這い出る隙間さえ無い。

 これだけの武将、兵を動員した大戦(おおいくさ)は、
六十以上の合戦を経てきた信長にとっても初めてで、
数多の軍を分散し、進撃させ、ひとつの力に合わせ、
戦いを遂行することは興しろくないわけではなかったが、
その艱難辛苦もまた大抵のことではなかった。
 武器、兵の調達に巨額を注ぎ込んだのは当然として、
兵糧手配ひとつ取っても三ヶ月間、
十万以上となると、並のことではなかった。
 一方で、
それだけの戦闘完遂能力を持った今の自分は、
この国の統治者としての地位に名実とも、
上り詰めつつあるのだという自負を深めた。

 遠景に望む長島城の大手門からは、
続々と一揆勢が姿を現し、
織田軍が用意した大船に乗り移っている。

 どの者も痩せ細り、皮膚は黒ずみ、髪は抜け、
歩行が困難な者は負われ、もしくは肩を抱かれ、
長島の城を背に、船へと進む。

 「長島城に籠っておるのは如何ほどか」

 信長は秀政に問うた。

 「およそ一万以上は」

 秀政も、
一揆衆が死者の群れ(そうろう)に船へと移る様をじっと見ている。

 信長は、
骨に皮膚が張り付いているだけの一揆勢の姿を認め、

 「一万も……。左様に多くが。
二月(ふたつき)もの間、
ろくに真水さえ無い中で、いったい何を食い、
一万も永らえたのか」

 誰に言うでもなく独り言ちた(ひとりごちた)

 仙千代が言うまでもなく、鼠というものは、
放っておけば途方もなく増えてゆき、
終いには「共食い」を始める。

 「想像するだに胸糞が悪い」

 信長は吐き捨てた。




 

 






 







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