第235話 竹丸の道(2)

文字数 1,783文字

 天正三年、正月行事が終わると直ぐに、
尾張美濃の街道整備を大々的に行うにあたり、
坂井利貞、河野氏吉、篠岡八右衛門、
山口太郎兵衛という四人が奉行に任じられ、
領国内には朱印状をもって作事が通達された。

 この事業の話が持ち上がった時点から
興奮を隠しきれないでいた竹丸は、
御奉行達の手伝いをさせてほしいと信長に直接
頼んだのかといえばさにあらず、
奉行の一人、河野氏吉に談判したのだった。

 「殿にお頼み申し上げなかったのは、
何故なのだ?いつも侍っておるのに」

 竹丸の部屋に、
仙千代はしょっちゅう入り浸っていた。
 城に上がる前からの仲で、
親しいということもあるが、
共に書を読んだり、算式を解いたりして、
互いの苦手分野を補い、
得意分野を教え合ったりする、
学友でもあった。

 何故、仙千代の部屋ではないのかというと、
彦七郎、彦八郎が、
これもまた、始終やってきては、
仙千代の学びの邪魔に入るので、
竹丸の部屋の方が効率が捗る(はかどる)のだった。

 小姓勤めは神経を使う上に激務でもあって、
余暇のほとんどを休息に割く者が多い。
 だが主君に近い者ほど文事、教養の習得に熱心だった。
博学でなければ、
公卿、大名、一流文化人の相手はできず、
主君の顔に泥を塗ることになる。
 小姓仕事は、
知らない者が外から見るほど優雅ではなく、
涼し気な顔をして泳いでいる水鳥が、
水面下では必死に足を漕いでいるのと同じことだった。

 今夜の竹丸は旅支度に余念がない。
日帰りの場合が多いが、
帰らない日も少なくないらしく、
最初はまず、熱田湊へ出掛ける数泊の日程だった。

 「河野殿を通し、殿に願い出たのは、
儂なりの考えがあってのことだった。
殿にお頼み申し上げて許可を頂戴し、
殿が御奉行様達に下達なされば、
中には愉快に思われない御奉行も居られるやもしれぬ。
何だ、小姓が、
何でもかんでも出しゃばって、とな。
だが、河野殿に相談させていただいた上、
河野殿が儂を援けになるとお思いになられるのなら、
他の御奉行衆の顔色を判断しつつ、
殿に上奏してくださるだろうと、
まあ、深謀遠慮でもないが、
慎重に事を運んだというわけだ。
街道整備は短期では終わらぬ。
小天狗のように思われて無理に付いていっても、
何もさせてはもらえず、却って邪魔になるだけだ」

 確かに、小姓、
特に閨房にも召し寄せられる小姓は、
嫉みの対象になりやすい一面があった。
主君と最も長く共に過ごし、
主君の名代を務め、
一日の最後には二人きりにもなる。
そこで睦言まじりに、
頼み事、願い事をしているのではないかという
疑心や妬心を抱く者が居ないでもないのだった。

 「河野殿は人格者でならす御仁。
また良い人が、
今回御奉行に居られて良かったな、竹」

 信長の桶狭間の勝利によって、
岡崎へ帰ることが出来た徳川家康は、
幼い頃、
織田家で二年間、人質として過ごした。
 その際、小さな家康を哀れに思い、
百舌鳥(もず)を捕らえては幾度も訪れ、
慰めたのが河野氏吉で、
昨年、三河の吉田城へ、
信長父子が来援した際も家康は、
一行に氏吉の姿を認めると破顔一笑し、
しきりに懐かしんでいた。

 「御奉行衆の手伝いに加えていただくにも、
気遣いが要ったな、竹丸。
なれど河野殿が了承してくださったのは、
大きい。
無論、人格者であられるということもあるが、
竹丸の常の勉強ぶりを、
認めてくださっていたということだ。
良かったなあ、本当に」

 竹丸は浮き立ちつつも、

 「殿には揶揄われた(からかわれた)

 「揶揄われ?」

 「竹丸の父は茶道に秀で、茶器に詳しいが、
息子は同じ土塊(つちくれ)でもそちらか、
茶器より山の土、丘陵の土、茶道より街道か、とな」

 「殿は目を細めて仰ったのだ、
竹の成長を頼もしく、
嬉しく思われたのであろう」

 「河野様達の邪魔にならぬよう、
せいぜい奮闘する心積もりだ。
殿の御期待にも報いねばならん。
当面、城を留守にする日々が続く。
仙千代や勝九郎も負担が増えるが宜しく頼む」

 「安心して行ってこい。
また、面白い出来事や、
興味深いことがあれば教えてくれ。
楽しみにしている」

 「うむ!」

 翌朝、
雪が舞う岐阜を発ち、
竹丸は御奉行衆と共に東へ向かった。
 熱田のある尾張の方角は空が青かった。

 「竹丸ー!怪我せぬようになー!」

 「おう!」

 何度も戦で危険な目に遭っているのに、
可笑しなことを言ったと、
竹丸を見送りながら仙千代は思った。
 竹丸の背は、
いかにも意気揚々と輝いて見えた。

 

 

 

 

 





 


 
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