第53話 虎御前山 虫時雨

文字数 1,278文字

 仙千代は、
日が沈むのが早くなったことに秋の気配を感じつつ、
城の東側に出た。
 展望は南の方が良いが夕刻になるとここは月が大きく見えた。

 細いながらも清流と、渓流溜まりの小さな池がある。

 興梠(こおろぎ)、鈴虫、松虫が、虫時雨(むししぐれ)となっている。

 大きな閻魔興梠がコロコロ。三角(みつかど)興梠がキチキチキチ。
綴刺(つづれさせ)興梠はリリリリ。
鈴虫はりーんりーん。松虫はチンチロリン。

 池の端の石に腰掛けて、虫の声を聴いた。

 美しい()に混じり、時折、轡虫(くつわむし)が、
ガチャガチャと茶々を入れる。

 まだ飛蝗(ばった)も居るのか……

 飛蝗は轡虫に加勢するようにキチッキチッと鳴く。

 虫の合唱は聴き飽きなかった。

 美声に負けじと轡虫と飛蝗が張り切って声を上げるのが面白く、
仙千代は真似をした。
 鈴虫や松虫のような優美な声は難しく、キチキチやら、
ガチャガチャといった賑やかな音は上手くいくことが、
可笑しかった。
 自然、笑顔になって、一人、声真似で遊んだ。

 初秋に差し掛かろうという時期ながら、
大気に夏の名残りの湿りがまだあって、満月は微かに(おぼろ)に映った。

 大きな月に向かって、

 「おーい!何してるんだー!いつも御苦労さーん!」

 と叫び、我ながら馬鹿なことを言ったと思い、
また笑った。

 やがて、誰も居ないと思っていたのに、
背中に気配を感じて斜め後ろを振り向くと人の影が樹上にあった。
 信忠だった。
 城館からこちらへ向かう道筋はひとつしか無い。
信忠が先に来ていて、仙千代が後にやって来た格好だった。

 信忠は楠の大木の枝に腰掛けていた。
仙千代と同じく、初秋の月を見に来ていたのに違いなかった。

 いつも信忠の周りには小姓が侍っているのに、
今は信忠だけだった。

 静かに月を眺めていたのに仙千代が虫の鳴き真似をしたり、
大声で月に呼び掛けたりして、邪魔をしてしまったと思い、
仙千代は、

 「申し訳ございません」

 と咄嗟の出会いに狼狽して、少しばかり口ごもりつつ、詫び、
座していた石から立ち上がり、地に片膝を立て、(こうべ)を垂れた。

 自分だけだと思い、遊んでいたのにと思うと、
恥ずかしさもこみ上げてくる。

 「構わぬ。頭を上げよ」

 「はっ」

 疎んじられている自分がここに居るべきではないと思いつつ、
知らずの間に同じ場所へ誘われ(いざなわれ)
共に虫の声を聴き、一緒に月を観ていたかと思うと、
胸が絞られるように甘く、苦しくなって、つい、

 「月もこちらを見ておりますね」

 と、言ってしまった。

 信忠からは無言しか返らないと思ったが、

 「飛蝗の鳴声が上手かった。月も面白く聴いたであろう」

 と言われ、いったい、どれほどの間、
このような会話を交わさずにいたのかと思い、
仙千代は一瞬にして、泣きそうになった。

 信忠の部屋で言い争うようにして別れた、
あの日から一年以上、経っていた。
 その間に信忠は添い臥し、初陣、改名し、
自ら選んだ小姓を増やし、
仙千代はといえば、信長の褥に召し寄せられた。

 仙千代は涙を堪えた。
あれだけ嫌悪されたからには、信忠の性分からして、
一生蔑まれたままでいくのだろうと考えていて、
ここで涙を見せれば、
いっそう嫌われることは明白だと思われた。


 

 



 

 


 

 

 

 

 
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