第385話 志多羅の戦い(4)兜②

文字数 1,472文字

 豊田藤助を案内として、
長篠の南の五砦を打ち崩す為、
前日の夜、
雨雲を追い掛けるようにして東へ発った、
酒井忠次(ただつぐ)、金森可近(ありちか)ら奇襲隊は、
作戦が滞りなく進んでいるのであれば、
今頃、兵刃を交えているはずだった。

 仙千代は時折、東の空を見遣った。

 雨の夜陰に川を越え、
山を上がり、崖を下り……
武具甲冑を備えた武者も、
武者を背に負う馬も、
武器弾薬を積んだ台車を押して進む兵も、
難儀ははかり知れぬ……
合戦は果たして始まったのか、
いや、もしや何某か予想外の困難が……

 信長に侍り、
慌ただしく立ち働いている仙千代は、
こなしている仕事とは別に、
頭から長篠城救出戦の成否が離れ難かった。

 本砦 鳶ケ巣山(とびがすやま)を落としたならば、
直ちに兵糧庫を焼き払えと信長は命じていたので、
霧の合間に日差しが覗くようになると、
早く煙が上がらぬかと信長は、
気が急いているように、仙千代には映った。

 そうでなくても、
この朝の信長は忙しく(せわしく)
連合軍の武将達の間を動き回って指示をして、
家康が布陣している高松山にたどり着いても、
何事か思い付くと指令を出しては、
陣城構築の指揮を担った作事、陣場の奉行衆や竹丸を、
あちこちに走らせた。

 家康と嫡男 信康は今朝一番から、
(まげ)を解いたザンバラ髪に鉢巻という姿で、
兜を被らずにいた。
 今、羊歯(しだ)の前立てが特徴の兜は、
家康の御指物より上に高々とある。
 大将である家康と嫡子の無兜の姿は、
主の決死の覚悟を示し、
徳川の将兵は大いに鼓舞され、
獅子奮迅の働きをするに違いない。
 家康父子は志多羅に於いて、
兜を被らぬ意気なのだと知れた。
 
 家康の指物は、
汚れたこの世を厭い、
平和な浄土を求めるという意の、
厭離穢土(えんりえど)欣求浄土(ごんぐじょうど)
と染め抜かれていた。
 その八文字は、
十五年前、桶狭間の合戦で、
敗軍の将となった家康が故郷 岡崎へ落ちのび、
自害を果たそうとした際、
松平家の菩提寺である、
大樹寺和尚から授けられた浄土教の言葉で、
爾来、家康の護符となっていた。
 また、金箔押しで一見豪華に見える兜は、
けして贅を尽くしたものではなく、
素材は一般武士と同等のものが用いられており、
いかにも質素を好む家康らしく、
実戦を主たる目的としていた。
 この日は羊歯の金兜が、
いつもの馬印である金の開扇よりも高く掲げられ、
昇り来る朝日を浴びて、
煌々と輝いていた。

 信長は家康の無兜を見ても、
殊更、触れはしなかった。
 三河の主は徳川家である、
徳川家の主である我こそが三河を守る、
我ら父子は兜無しで戦に臨む……
という大将自ら前線で戦う家康の決意の表れは、
いざ開戦となれば、
総大将の陣へ帰還する仙千代からしても、
勇気づけられ、興奮を呼ぶものだった。

 浜松殿の闘志一念、
上様は分かっておられる……
なればこそ、
竿に揚った兜を目にされても、
何も仰せにならずおられるのだ……

 高松山の家康の陣で信長は、
総大将が命令を下すまで、
全軍一兵たりとも出撃せぬよう、厳命した。

 「志多羅に武田が現れても、
我らの全容を晒してはならぬ。
堀に身を伏せ、柵に潜み、
総軍を小さく見せよ。
勝頼が今まで通り、
尾張兵は弱い、
三河は武田を怖がっていると思うがままに、
させておくのだ。
挑発と陽動の末、陣城前まで誘き(おびき)寄せ、
そこで一斉射撃で痛撃を与え、
交戦の端緒とす!
勇んで抜駆けすることは一切許さぬ」

 信長の命を受け、
勇猛にして智に長けた両家の馬廻り衆が、
戦場に散った。
 仙千代の郎党である、
市江彦七郎と彦八郎の兄弟や、
近藤源吾重勝、
そして長島一向一揆で織田軍に敗北の後、
知勇を惜しみ信長が呼び寄せ、
佐々成政の与力とした大木兼能(かねよし)もその中に居た。

 



 






 

 

 
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