第416話 仙鳥の宴(2)息子達と小姓②

文字数 1,667文字

 信長の青天井の上機嫌は続いていた。
 
 「不調法などあるものか。
初陣で雨夜の行軍を果たし、
父を助けた見事な若武者ぶり、
小五郎は先が楽しみだ。
万千代なるその者も、
浜松殿の近習を幼き頃より務めおる榊原や、
酒井小五郎という良き先達に恵まれ、
まさに幸運児。運を大切にせよ」

 と、これもまた青天井の激励を寄せる。

 たかがといっては何だが、
いくら紅顔とはいえ、
他家の小姓の一人や二人に、
関心を寄せる信長ではないはずで、
信忠は奇怪な思いを抱いた。

 新参者の万千代は、

 「はっ……」

 とだけ返し、
よく見ると膝の上に行儀よく乗せた手が、
ふるふると震えていた。
 
 万千代を主導する小五郎でさえ、
信長の前では、
背に定規が入ったような緊張ぶりなのだから、
後方支援にせよ初めて参じた合戦に、
万千代は日々を、
張り詰めた糸のように過ごしていたに違いなかった。

 それにしても、
他に小姓は数多居るであろうに、
何故ここに場慣れせぬ万千代とやらを……

 と信忠は家康が少々可笑しく思われた。

 家康の万千代への眼差しは、
あくまで温かく、慈愛に満ちて、
万千代に対するただならぬ寵愛が伝わる。

 家康のように分を弁えた人間が、
ただ好いた腫れたで、
新米小姓を晴れの場に連れてくるはずはなく、
今後、
万千代を家康が盛り立てていくつもりであることを、
信長という同盟者にさりげなく伝えたのだと、
信忠は見た。

 それ程に可愛いか、
その新参小姓が……
まあ、そうなのであろう、
けして盲愛はせぬが、
父上が仙千代にそうだった、
何かと不器用で強情な仙千代を、
元来、短気な父上が気長によく見守って、
十三を迎えてからは、
何処へ行くにも手離さなかった……

 十六になった仙千代は、
清廉な美しさを湛え、
素の朴直と善美が面立ちに表れて、
容貌の良さだけではない魅力に輝いていた。
 小姓として差し出すことになろうとは、
誰も考えていなかった境遇の育ちで、
側室も小姓も居ない、
姉妹ばかりの家の子だった仙千代は、
叔父が先に信長の小姓であった竹丸のような者と比較して、
城に上がって重ねた苦労や驚きは、
大きなものであっただろうが、
本人の努力もさりながら、
資質や性格が周囲の援けを呼んで、
今の万見仙千代になっている。

 仙千代が駆け上っていくのなら、
儂も負けてはいられない、
義弟が無兜で兵を鼓舞し、
華やかな戦働きを見せた今、
儂はそれ以上の功を立てねばならぬ……

 宴は和やかに進み、
大久保忠世の金の揚羽の背印を、

 「あれは気に入った。
あの揚羽、余に渡さぬか?」

 と信長が茶々を入れた。
 
 「上様は既に揚羽の家紋を、
お持ちでいらっしゃるではございませぬか」

 「いや、金の羽に赤い紋様、
あの華やかさは当代一流。
合戦であれほど目立った(しるし)は他にない」

 「左様な御言葉を頂戴し、
今宵は嬉しさで、
一睡たりとも眠ることができませぬ」

 「ほう、逃げるか」

 家康が助け船を出した。

 「此度の先陣ぶり、
上様は大いにお褒めであられた。
まこと、誇らしいものであったぞ。
褒美にこれをつかわす。
御耳を汚すやもしれぬが、
上様に吹いてさしあげよ」

 家康は軍貝を忠世に下賜した。
 それは歴史的勝利のこの一戦で、
徳川本陣で使われた法螺貝だった。

 信長が面白がった。

 「ほう!大久保は貝を吹けるのか」

 家康が、

 「この者、無骨一辺倒に見え、
なかなかの風流人でございます」

 と家臣自慢をした。

 軍貝を賜り、
感銘を受けた面持ちの忠世は、

 「では!」

 と応えると、
確かな音階の素晴らしい音色を響かせた。

 信長以下、一同が聴き入って、
忠世が軍貝を収めると、
誰もが賛辞を送った。

 そこで信長が、
酒井忠次(ただつぐ)を指名した。

 忠次は信長から献杯を受け、飲み干した。

 「此度の手柄、努々(ゆめゆめ)忘れぬぞ」

 「有り難き御言葉、
終生、記銘し、
けして忘ずるものではございませぬ」

 信長がふと思い付いたような顔をした。

 「されば、
そろそろ鵜飼いの季節であったな。
酒井は鵜飼いを見たことはあるか」

 「未だ……残念ながら」

 家康の顔色がさっと変わった。
忠次に至っては何を察したか一瞬にして、
どっと汗が滴っていた。

 

 




 

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